無秩序な「普通に~」用法を押し通す者たちを文章で徹底的に殴り倒す。
平野啓一郎を勝手に批評した記事でも奴の「普通においしい擁護論」を粉砕して差し上げた。

この記事では別の角度から「普通に~」を乱用する奴らに対し「味覚表現障害」「言語的幼児退行」という概念を用いて殴り倒し半殺しくらいにできればと思う。
「味覚表現障害」「言語的幼児退行」なる概念が何であるかは読んでからのお楽しみ。
記事の最後に収入を増やすヒントまである。我ながら太っ腹。
「普通に~」の常用が不要な理由を一行で説明しアホ共を叩きのめす
「普通に~」を乱発している奴らは、意見や感情や主張を表現するのに不可欠だと言いたいらしい。
そいつらは「普通においしい」「普通におもしろい」というのを巧みで繊細な表現だと思い込んだり、あるいは斬新な言葉のコーディネートだと浮かれてみたり、ともすれば新たな数式を発見したかのような感覚を抱いているのかも知れない。
私から見れば、こんなもの稚拙な表現でしかない。具体性が著しく損なわれているのだから。
あなたは「普通に~」用法の乱発を批判したことがあるだろうか。もしあるなら反撃してくる奴らが必ず出てきたと思う。大抵セリフは決まっている。
これは全く筋が通らないインチキである。
その理由を一行で説明しよう。
これが答えだ。
ついでに言えば、私は感情や意思を表現する際、流行語やネットスラングを用いることが非情に少ない。
仮に用いるとしても、記事の題材として現代的な事象を扱う場合や、例示のために流行語やネットスラングを嬉々として遣う人間に成りきって用いるケース、引用文くらいのものである。
私は「普通に~」を全く遣わずに感想を述べることができる。
世間にホコリみたい舞っているアホな表現を遣わずとも文章が書けているのだから不要なのだ。寧ろ、流行語やネットスラングを遣わないほうが読み手に伝わりやすいと確信している。
私普通じゃないんですか?/お前の言う普通の基準がわからん/普通ってなんだ?/ごく普通の巨大迷宮/普通って誰の普通よ/普通かしらぁ?/俺は元から普通です/あんたの言う普通ってそもそもどのぐらいのレベルなわけ?/普通に普通って普通なのか?
好き嫌いが違う時点で「普通においしい」という表現は成り立たない
そもそも嫌いな食べ物がないと答えられる人がどれだけいるだろうか。実際は非常に少ないはずだ。年齢によっても味覚は変わる。
マルゲリータのことを「ナポリの代表的なピザだけあって、普通においしい」と言われても、チーズやトマトが嫌いな人には絶対に通じない。
この一点だけでも「普通においしい」というものは成り立たない。そんなことにも気付かないアホだから「普通に」を乱用できるのだ。
魚が嫌い
肉が嫌い
トマトが嫌い
ピーマンが嫌い
ニンジンが嫌い
トコロテンが苦手
パクチーが苦手
ピクルスが苦手
セロリが苦手
かぼちゃが苦手
とろろとおくらと納豆が嫌い辛いものが苦手
炭酸が苦手
ワサビが苦手
あんこときな粉とスイカが苦手
料理に入っているパイナップルが苦手
しいたけは食べ物ではない
「普通に~」擁護は怠け者であることをごまかすための詭弁
「普通に~」は比較的新しい表現である。何故、新しい表現が必要なのか。「普通に~」擁護派は次のような理屈を持ち出す。
既存の表現では足りない
私にはこの理屈がさっぱりわからない。
従来なら「普通に」を頻繁に選ばなくても、意思を表現できる。しかも、そのほうが相手にイメージさせやすい。
少し考えれば「既存の表現では足りない」という理屈が、単なる「怠け者による詭弁」であることが見通せる。
「普通に」を連発する者は、「言葉を選び」「並べて」「構成する」能力が低いというだけなのだ。
「普通に~」擁護派の理屈は「怠け者であることをごまかすための詭弁」としか言いようがない。
味覚表現障害
もちろん私とて、確実に一般に認識が共有されている物事に関しては「普通に考えて」のような遣い方はするだろう。
だが「おいしい」「おもしろい」「かわいい」などは主観や私情だから「普通に」を付けると意味がボンヤリしてしまうのだ。
私からすれば
としか思えない。
「普通にかわいい」と言われても、お前がかわいいと感じる領域も掴めないし、品があるのか、知的なのか、またはキュートなのかさっぱりわからない。
「普通に」の中身を覗き見ると「何も入っていない空っぽ」なのが実際である。
この記事を執筆していて気が付いたのだが、やはり私は「普通に」を用いることが非常に少ない。このブログ内でも今のところ引用以外「普通に」の出番はほぼなかった。
十五年以上ネット上に文章を投稿しているが「普通に」とタイピングしようとして「この事象での『普通』ってなんだ?」「これでは読んだ人はチンプンカンプンかも」と、無意識に近いレベルでブレーキが掛かっていた。それが完全に癖になっているので「普通に」の出番が少ないのだと思われる。
本来こんなことは誰でもできるはずだ。にも関わらず「普通に~」を乱発しているのならこう判断するしかない。
必要最低限の感情描写すらおぼつかない「こと自体に」気付かないのだから。
「普通においしい」とぬかす奴らの顔面に味覚表現障害のシールを貼って差し上げよう。
あなたもこの画像を保存して、シールとして是非とも活用していただきたい。
うむ、我ながら思う。ハイセンスなシールだ。
反論で反証を否定できない
ニヤニヤと小バカにしながらこう反論してくる奴が必ずいるはずだ。
それは認めても構わない。私が知らずに大昔の流行り言葉を遣っていたのなら、素直にその反論を受け入れよう。
しかし、その反論はこの記事の主張を全否定するための根拠にはならない。
流行語で散々かき回された世の中に私が生まれ育ち、無自覚に過去の浮かれ言葉を用いたところで「普通に~」の多用が不要であるという反証は揺るがないからだ。
その反証とは、繰り返しになるが、私は「普通に~」を全く遣わずに感想を述べる自信があることだ。
味覚の表現には高度な具体性を要する
あなたは、ある料理を食べて「おいしい」と感じた。そのおいしさのポイントはどうやら「程よい辛さ」にあるようだ。それをあなたは「普通においしい」と言ってしまうのだろうか。違うだろう。
私なら少なくともこのように考える。
本来「おいしさ」を他者に伝えるのは困難な作業である。何故なら「抽象度が高い」からだ。
それを「普通に」+「おいしい」のように抽象を掛け合わせてどうする。
「おいしさ」という抽象概念を他者に伝えるには具体性のある言葉を選ばなければならない。選ばざるを得ないと言う方が正しいだろう。
「普通に」を乱用するのは、適切な言葉を探す余裕がないか面倒ゆえ。あるいは元々適切な言葉を学んでいないのだろう。「普通に美味しい」から、繊細で具体的な味を想像できるのなら超能力者。 / “問題な日本語:読者の方からのコメント” http://t.co/Oc0Bc6yGlW
— 村正 (@mu__s) 2015年5月17日
皮肉にも日常生活を「普通に」していたら、どこかのタイミングで、こんな当たり前の言語ルールに気付くはずだ。もし成人しても気付かないならば「表現障害」の疑いが大いにある。
味覚なんて人によってバラツキあり過ぎなんだよ
マスカットフレーバーと正露丸
マスカット紅茶と正露丸紅茶
私は「ウェッジウッドティールーム」に毎週通っていた時期がある。私はそこで初めて紅茶の本に書いてあった「マスカットフレーバー」を体感した。
「マスカットフレーバー」が、「ダージリン」とはどんな紅茶なのかを示す大変優れた表現だと思うのは、その体感があったからこそである。
「ガールズ&パンツァー」のダージリンさんは、チャーチル歩兵戦車Mk.Ⅶに載りながら、毎回「マスカットフレーバー」を楽しんでいたということだ。
「ウェッジウッドティールーム」で私が一番好きだったのが「ラプサン・スーチョン」。この茶葉を端的に表現するならば「正露丸」だ。
私は「正露丸」が大の苦手なのだが、何故かこの「ラプサン・スーチョン」は好んで飲んでいた。
時折、ケーキやスコーンをサービスしてくださった店長。青二才だった私が、恐らく親子ほど歳の離れたそのご婦人に良くしていただいたことは今でも忘れない。
「一緒に行こうよ」。とある会社の受付をしているお姉様四人に誘われて行ったときにはえらく緊張したものだ。ただただ恥ずかしかった。
正露丸のようなウイスキー
「正露丸」繋がりで思い浮かぶのが「ラフロイグ」。私は「ラフロイグ」「ボウモア」「アードベッグ」などの「アイラウイスキー」を好んで飲む。
とりわけ「ラフロイグ」が気に入りで「正露丸」のようでいてゴム臭い、独特の風味がたまらなく好きなのだ。ヨードチンキと風味を評する人もいる。
恐らく通は、いわゆる「ハイランド」の上品さにウイスキーの真髄を見ているのだろうが、私はまだその域に到達していない。
歪なモノができてしまったと認識できない
まるで田舎の小中学生のセンス
「普通においしい」「普通におもしろい」「普通にかわいい」などの言い回しは、田舎の小中学生のセンスに似ている。
自転車にアッパーハンドルやバイクのフロントカウルなど、何でもかんでも好き放題に取り付けて喜ぶような。
アホである。私も似たようなことをしていたので、未熟な彼らにはまだ可愛げを感じる。「普通に~」も不適合なパーツと同じ。整合性を考えることなく遣う度にアホに近づくのだ。
二十歳を過ぎているのに、やたらめったら「普通に~」を取り付けていると「小中学生の未熟なセンス」に逆戻り。もしや、最初からこのセンスだとしたらもう終わっている。
もはや幼児にも負ける
「小中学生の未熟なセンス」と先述したが、考えを深めると、もっと幼く拙いのでなないだろうか。
幼児のブロック遊びを思い浮かべて欲しい。「レゴ」に代表される知育玩具だ。私は「ダイヤブロック」で遊んでいた。
ブロックを繋げて街やビルや部屋を作る。車や動物、架空のロボットをも作ることができる。
ブロック遊びとは「物理的に具体姓を表現する訓練」だ。
「物理的に具体姓」とはヘンな言い回しだが「物理=単体のブロック」「具体=建物」とイメージしていただきたい。
「物理=単体のブロック」を組み合わせて「具体=建物」ができあがる。これがブロック遊びの基本。ブロック遊びは主観で具体性を想像し、それを客観的に知覚するための良いおもちゃだ。たとえ架空のロボットであっても、やはり具体性はある。
ブロック遊びの基本は、そのまま言語表現にあてはめることができる。
「普通に」+「おいしい」という組み合わせは「建物の柱」にすらなっていない。
本来のブロック遊びならこのブロックをここに付けたらどうなるかを確かめる。しかし、何にでも「普通に」を付ける奴らはそれを確かめることをしない。故に歪なモノができてしまったと認識できないのだ。ならばこう判断するしかない。
「おいしい」というブロック上に「普通に」というブロックを乗せて全体を見ることすらできないのだから。もっと極端に言えば、二つのブロックをまともに選んで繋げることすらできないのだから。
言語的幼児退行
二つのブロックをまともに選んで繋げることすらできない状態。私はこう名付けたい。
幼児にすら劣るのだから、胎児と釣り合うくらいか。ならば本当は「言語的胎児退行」と書かねばならないのだろう。だが、発語の有無を考慮して「言語的幼児退行」としておく。
表現が拙くなる原因
表現が拙くなる原因は二つある。
これはどちらか一方に原因があるということではなく割合である。
例えば幼児の割合を表すとこうなる。
おそらく、このように約半々の状態。
「言語的幼児退行者」は
このように「語彙が少ない三割」「言葉をうまく選べない七割」ではないだろうか。
幼児にも劣るアホ共が生きていける理由
田舎の小中学生のセンスからとうとう幼児以下になってしまった。仕方がない。「味覚表現障害」の「言語的幼児退行者」なのだから。
しかし、幼児にも劣るアホ共は何ら痛みを感じることなく生きている。
その理由は何か。私なりの考えを述べよう。
これが理由。別の表現をすれば「見逃してもらっている」「放置されている」といったところ。
では、何故「咎められることがない」のだろう。あなたにもよく考えてもらいたい。
答えは実に簡単だ。
無秩序な「普通に~」用法蔓延のプロセス
無秩序な「普通に~」用法の蔓延にはプロセスがある。
- 相手が「普通においしい」「普通におもしろい」と言おうが書こうが、関心がないので引っかかることなく素通りする
- 素通りされるので「普通においしい」「普通におもしろい」という表現が許されると誤認する
- これが繰り返され「汲み取らないほうが悪い」という状態にまで飛躍する
逆説の否定論
お互い、まともに聞いてもいないし読んでもいない。つまり、無秩序な「普通に~」用法の蔓延の原因は「無関心」なのだ。「草」が蔓延しているのも似たようなもの。
裏を返せば「普通においしい」という表現に疑問を持ってくれる人は、相手の本意をもっと知りたいと思っている。だから「普通にの中身を知りたくて」引っかかる。
しかし「普通に」の中身を覗き込んでも「何も入っていない空っぽ」であることを知り、呆れてしまう。
平野啓一郎は「普通においしい擁護論」をわざわざ記事にまでしていた。奴は「否定論者はニュアンスを汲み取れない硬直した態度」と書いていたが、実は全く逆なのだ。
「汲み取らない」から「消極的な肯定状態」になっているに過ぎない。
私は平野啓一郎批判の記事内でこう書いた。
「普通においしい」なんてパッパラパーな表現を絶対に受け入れないと。

これは「汲み取らないほうが悪い」という状態にまで飛躍したことに対する否定である。逆に言えば、相手の文章をしっかり読もうとしている姿勢からくるものなのだ。
味覚表現障害からの脱却
味覚表現障害をほったらかしにはできないので、改善策を書いておくことにする。
対立文を沢山作る。対立文とは何か。撞着法に近い表現だ。既に存在しているものも含めて、いくつか書いてみよう。
鋭い鈍器
高級な粗品
熱い冷気
硬い柔肌
好意的な敵意
不確かな確信
脱毛式育毛剤
軽く重症
新型中古車
おとなの自動車保険
劇団ひとり
一人旅団
難易度が高い
できない可能性
普通に異常
重軽の石
トゲアリトゲナシトゲトゲ
補足
対立文作りをやるとなかなか楽しい。同時に語義や用法への感性が鋭くなるので、味覚表現障害の疑いがある人だけではなく是非とも全員試してほしい。
補足として、もう少し対立文について綴ろう。
「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」は対立文。キンキンに凍らせた巨大高野豆腐なら対立文にはならない。
「シロノワール」対立文にあらず。商品名としても言葉としても。
「劇団ひとり」「一人旅団」は対立文を巧みに利用した表現。「ひとり」はソロプレイヤーを意味する。しかし「団」と「ひとり」は万人に共通する自明なので、言葉遊びとして有効。
「天使のような悪魔の笑顔」も対立文とは言い難い。「天使」は本来、赤子や麗しい女性の姿ではないからだ。ただ、現代の認識を加味からすれば対立文になりうる。
「伸張性収縮」という用語の場合、字面は対立文。ただ、筋収縮のしくみを考えれば対立文にあらず。
「できない可能性」と「難易度」についてはこの記事で採り上げている。


「できない=不可能」+「可能性=できる見込み」
よって対立文。
「難しい」と「易しい」が共に高いというのは成立しない
よって対立文。
では「普通においしい」はどうなるか。殆どの場合、対立文になる。三段階評価を設定したケースを考えるとわかりやすい。
- おいしい
- 普通
- まずい
このケースでは「普通」と「おいしい」は両立しない。
因みにニコニコ動画の上映会アンケートの項目はこうなっている。
コトバのパズルは金を生む
対立文作りを通して語義や用法への感性が鋭くなると良いことが沢山ある。
魅力的なキャッチコピーを作れるようになるとどうなるかを挙げてみよう。
コピーライティングは「コトバのパズル」だ。無数にある単語からどんなコトバを選び組み合わせるかによって、大金をポンと払わせることもできれば、怒らせることもできる。
文章に秘められた金脈
コピーライターは文章に秘められた金脈のありかを知っているのだ。
文章一つで収入を増やす。それがどれだけ素晴らしいことか想像してみてほしい。
対立文作りを少ししたところで、すぐさまコピーライターになれるほど甘くはないが、きっかけにはなるだろう。
ライティングを学ぶための二教材
あなたがもしキャッチコピーやライティングに興味を持ったなら、次の二つの教材に投資してみることを薦める。
これは「キャッチコピー」を習得したい人向けの教材。
海に入らせないためにはどちらの言葉が有効か。あなたに考えてほしい。
- サメが目撃されています
- 遊泳禁止
答えは1.だ。表現を変えただけで人間はとたんに抗えなくなる。
コピーとは「シンプルな言葉の構成だけで」人が行動せざるを得ない状態に導く技術だ。「The Million Writing」は、そういったコピーの「ツボ」を徹底的に学ぶことができる優れたPDF教材。
コピーは複数の要素で形作られる。その要素は人間心理に基づいており巧みに連携している。「The Million Writing」は、コピーを構成する各要素を、豊富な例文と照らし合わせながら解説してくれているので、あなたが初めてコピーを書き上げることも難しくないだろう。
ただ、欠点もある。
例文は素晴らしいのだが、解説そのものに語字、誤用、重言などが多い。これらの誤りを反面教師として学んでほしい。
これは文章力全般を高める動画講座。
どんな初心者でも理解できるように、スライドと音声でこれでもかと丁寧に解説している。私は、制作者である野口渉氏の講座を沢山受けてきた。受講数は10を軽く超えている。現在受講中のプログラムもある。
野口渉氏を一言で表すなら「本質」の人。「本質」を見抜く能力だけでなく、それをどのように伝えれば受講者の学びになるのかを徹底して突き詰めている。
質問にも丁寧に回答してくれる、良き先生だ。
ワイン、ウイスキー、香水などを参考にすべし
ワイン、ウイスキー、香水、葉巻などを嗜む界隈の形容は、表現力を磨くのに好適である。
あなたが未成年だったとしても、その多彩な「喩え」は非常に刺激になるだろう。その喩えは「クドい」くらい具体性に満ちている。「普通においしい」という陳腐で曖昧な形容は一切入る余地がない。
私が安直な「普通に~」表現を奇妙に思うのは、香水や紅茶やワインやウイスキーを好んでいたからというのもある。磁器の魅力も含め「ウエッジウッドティールーム」に通い詰めたこともあったくらい紅茶に心酔した時期もある。
これらの界隈は「この味や薫りを何に喩えようか」という意欲に満ちており、時には突飛でありながら想像を駆り立てる表現が出るのが当たり前だった。
「ゴムや鉄サビ」なんて表現が飛び出すこともある。実際にゴムや鉄サビを食べたことがなくとも、そう表現することで独特の臭みやザラつきを想像できるのだ。
とりあえず「アードベッグ」の形容を紹介しよう。「アードベッグ」とはスコットランド、アイラ島産のウイスキー。いわゆる「アイラ・モルト」であり癖が強いのが特徴。
ARDBEG
CORRYVRECKAN
アードベッグ コリーヴレッカン
TASTING NOTE
COLOR 深い琥珀色 NOSE 恍惚とするほど強烈で力強い香りの渦に引き込まれる。
タールロープとクレオソートの香りの奔流に圧倒されるうちに、ダークチョコレート、カシス、黒糖の香りに続いて熟したチェリーや松葉の香りが渦の底から湧き上がる。
グラスが暖まると、さらにカイエンヌ・ペッパーのかかったステーキやペッパーソースで蒸し焼きにした牡蠣、潮や海草、スモーキーなベーコンの刺激的な香りに、甘いバニラやクローブ、ブルーベリーのニュアンスが加わる。PALATE ペッパーステーキのようなスパイシーで強烈な第一印象。さらに飲み進むと、エスプレッソコーヒー、とろけるようなダークフルーツ(カシス、ブルーベリー、チェリー)やアーモンド、アニスの味わいに変化する。 FINISH 香ばしいブラックコーヒー、チョコレートでコーティングしたチェリー、ペッパーソースの余韻が長く続く。
「簡単」を「難しくない」で言い換える様に、「別に不味くない」を「普通に美味しい」と
しているだけではないのでしょうか
コメントありがとうございます。
>しているだけではないのでしょうか
その解釈通りだと思います。
私が問題にしているのは「受け流したり黙認する」こと。
それにより「話者が責任を負わなくて済むような事例が増える」こと。
これはあなたが考えるより、日本にとって実は大きな懸念材料なのです。
「普通においしい」というのは抽象度の高い曖昧な表現。
あからさまに言ってしまえば「意味不明で無責任」。
それは「~しているだけではないでしょうか」と
あなたがわざわざコメントしなければならない状況が裏付けています。
つまりあなたは「責任感が著しく低い」人を野放しすることに賛成しているのです。
本来は「解釈してあげて」「受け流したり黙認する」のではなく
「無責任だぞ」「言葉の選び方をもう少しマジメに考えろ」とはねつけるべき。
※なぜそこまでやる必要があるのか。
※個人レベルまで「言葉の責任」を追求するなよ。
そういう意見があるのは当然でしょう。
もちろん、責任の重要度は立場や状況によって違います。
ただ、今の日本の境遇を考えてみてください。
「民主主義」+「属国状態」+「グローバリゼーション」
これが今の日本の境遇。
「民主主義」という一要素だけでも国民の責任は大きい。
表現の精度や具体性を蔑ろにするのは「責任の放棄」に繋がります。
「民主主義」で責任を放棄することが当然の風潮が増えればどうなるでしょうか。
あなたのように「解釈」してあげることは善意だと思います。
ただ、この善意がとりわけ現代日本の言語分野において悪く作用していると私は考えています。
そして、世の中の事象は大抵「言語」が関わっている。
この恐ろしさがわかりますか?
似たようなことを再び述べますが
「普通においしい」という表現について「~しているだけではないでしょうか」とわざわざ語る。
これこそ話者の責任感の低さを如実に示しているのです。
「民主主義」+「属国状態」+「グローバリゼーション」。
国境の壁が下がり、新規なモノと変化が増えました。
これらは「表現は時代の気分で変わるという観念」と相性が悪い。
その理由は「国民の責任感の欠如を助長する」から。
「民主主義」+「属国状態」+「グローバリゼーション」+「言葉の変化容認」=日本の衰退。
こういうイメージでしょうか。
「普通に~」という表現の批判記事は下記2点に対する警鐘の一例に過ぎません。
1.善意による状況適応という名の放任
2.それが引き起こす無責任の蔓延
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殺害予告が犯罪ではなくなる日|言葉は時代の気分で変化するという観念の落とし穴
https://nippon-gengo.com/satsugai-yokoku/
日常会話における語義の重要性を三橋貴明氏批判から論じる
https://nippon-gengo.com/nichijou-gogi-mitsuhashi/
言葉の誤りを指摘される人=〇〇に洗剤を使う人
https://nippon-gengo.com/ayamari-senzai/
適応という「良習」の先に待っている日本消失
https://nippon-gengo.com/kotoba-heiwaboke/#rtoc-2
言語という堤防を自ら破壊する日本人
https://nippon-gengo.com/gengo-teibou-hakai/
日本語に関する他の媒体と当ブログが決定的に違う六つの視点
https://nippon-gengo.com/6perspective/
属国状態から「言葉の変化」を批判する
https://nippon-gengo.com/zokkoku-kotoba-henka-hihan/
グローバリゼーションと言葉の変化容認は相性が悪い
https://nippon-gengo.com/kichigai-buchi-koroshite/#rtoc-6
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