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不快な表現

まともな人から避けられる「じゃねくね族」

「じゃね?」「くね?」「てね?」とやたら遣う人間に対し私はこう呼んでいる。

「じゃねくね族」と。

がっかりワード「じゃね?」「くね?」「てね?」

話し言葉、書き言葉に関わらず私が不快に感じる表現がある。

それは「じゃね?」「くね?」「てね?」だ。

今まで魅力的に見えていた人が「じゃね?」「くね?」「てね?」と発した途端に、それがあっけなく崩壊するほどに。

もうこれを見聞きした瞬間、その人へのイメージが大幅に落ちる。そんな私の思いをよそに「じゃね?」「くね?」「てね?」という表現は広い世代に浸透しているようだ。

私は「じゃね?」「くね?」「てね?」を日常的に用いている人を指してこう呼んでいる。

「じゃねくね族」

イメージが大幅に落ちる?そんな大げさな。

と思うかも知れない。だが、誰しも経験しているはずなのだ。

いわゆる「クチャラー」は悪印象を与える。

これに異論を唱える人はどれだけいるだろうか。印象はほんの少しのことで、いとも容易く悪化するのだ。

「じゃね?」「くね?」「てね?」を未成年の子供が発していたならばこう思って受け流すこともあるだろう。

語求(ごきゅう)
語求(ごきゅう)
アホな世間に刷り込まれてかわいそうに。

しかし、二十歳もとうに過ぎた大人がこんな言葉を用いるのは、悪印象しかない。

「がっつり」も同じがっかりワードである。

「がっつり」女は嫌われる「がっつり」この言葉が下品だと気付かない女性が何故か多い。バカ製造機のテレビや雑誌、軽薄な情報サイトなどからの影響を受けているのだろう。...

そんなリスク負う必要があるのか


 
「じゃね?」「くね?」「てね?」を用いている大人に言いたい。

そんな言葉を遣う必要がどこにある

くだけた印象を演出するためかどうかは知らないが、リスクを考えると割に合わない。「ちがくね?」に至っては「アタマがパー」か「勘違いオラオラバカ」にしか見えない。



 
雑な言葉遣いをクールだと思いこんでいる言語空間、とりわけニュースサイトやまとめブログのコメント欄ばかり目を通していると、そういった表現が当たり前と誤認する。

やがて自分もうっかり「じゃね?」「くね?」「てね?」と発してしまうこともありうるのだ。

あなたは常に言語感覚を狂わされ、おかしな表現を刷り込まれているという恐れを抱いていたほうが良い。

くれぐれも、若作りとして「じゃね?」「くね?」「てね?」と発することなかれ。後々恥ずかしくなるのがオチだ。

 

全くリスクを感じていない。

と思っているそこのあなた。

イメージダウンしました!

なんて面と向かって言ってくれる人は稀だということを忘れるべからず。

「じゃね?」「くね?」「てね?」発言だけなら受け流してくれる人がいるかも知れない。だが、悪いイメージは累積する。

次に印象を損ねる別の言動をすれば、その人が遠ざかってしまうことも考えられるのだ。

「じゃねくね族」にいてもロクなことがない。

こんな記事を投稿している私は恥ずかしながら「ぽいぽい教信者」だ。

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語求(ごきゅう)
国防の観点から「鋭敏な言語感覚」の重要性を訴える。「言葉の変化全肯定論者」の軽薄さと危険性を独自の視点で暴き出す。「言葉は生き物」「言葉に寛容になれ」と心無い批判をされた人よ。あなたの言語感覚は間違っていない。そんな奴らに屈するな。国防に必要なのは核武装と言語の保守だ。アイコンはユルいが50代の筋トレおじさん。
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