言葉の正誤や好ましい表現について語る媒体は沢山あるだろう。しかし、当ブログと決定的な違いがある。それは「六つの視点」を持っていないことだ。「六つの視点」については後述する。
「柔軟で寛容」という厄介なスタンス
見過ごせない言葉選びを憂い、適切な表現へ導こうとしている人はこんな主張で批判されたことがないだろうか。
上記の主張をする人は言語に関して「柔軟で寛容なスタンス」をとっているので、好ましい表現を提案している人は総じてこういった批判に弱い。
「柔軟で寛容なスタンス」から、やれ時代遅れだの老害だの不寛容だの狭量だのと批判されるのを恐れて「言葉は生き物なので~」「言葉は時代の使い勝手で変化するので~」と語勢を無くし萎縮する。
柔軟で寛容なスタンスをとる人、即ち「言葉の変化全肯定論者」は進歩的で視野が広いような印象があるため、酷い誤用や不適切な言葉選びに警告を発している人は肩身が狭く分が悪い。
しかし「六つの視点」を獲得し「言葉の変化の実態」に気付けば「柔軟で寛容なスタンス」なるものが、いかに軽薄で破壊的な思考に基づいているかを知ることができる。
そして「柔軟で寛容なスタンス」に酔っている人に一矢報いることも可能だ。
「言葉の変化の実態」を暴き出す「六つの視点」
「言葉の変化の実態」を明らかにしてくれるのが「六つの視点」である。
1.言語は国や民族の基盤
(インフラストラクチャー)
2.基盤である言語を大衆の気紛れで弄くり回すと摩擦や分断が起きる
(国家の自壊や侵略を容易に許す要因)
3.個人では問題にならなくても大勢がとりいれると不具合が出る
(合成の誤謬)
4.大衆は判断を誤ることが多い
(衆愚・多数者の専制・沈黙の螺旋)
5.変化を繰り返してきたからといって今後も危険や不具合が無いとは限らない(子孫への責任放棄・事象の非対称性)
6.最新のものが最良最適というのは驕り
(選民意識・例外主義・性善説的歴史認識)
もっと多くの視点もあるがとりあえず六つに絞ってみた。
この視点を通すと「言葉の変化」は情緒に容易く左右される見通しが甘い刹那的な行為という実態が浮かび上がる。目先の都合だけを優先した気紛れな変化は安定を揺るがしかねない。
「言葉の変化の実態」とは社会を不安定にさせる危険を孕む行為なのだ。
「柔軟で寛容なスタンス」の正体
「六つの視点」から言葉の変化の実態が社会を不安定にさせる危険を孕む行為であることが見えた。ならば「柔軟で寛容なスタンス」の正体もわかるだろう。
「正しい言葉は時代によって変動するのであり、未来永劫正しい表現など存在しない」という主張の基になる「柔軟で寛容なスタンス」は次の思考が無意識に染み付いたものだ。
・虚無主義
(所詮正しいものなんて無い)
・情緒主義
(価値判断を情緒的な好き嫌いに委ねる)
・短期的な自由競争主義
(目下の利益こそが幸福。競争は質を上げる。規範は排除すべき)
・大衆迎合主義
(多数派を是とする)
・革新主義
(既存のものを壊し一新するのが好ましい)
言葉の正誤や好ましい表現について語っている人達は自信をもって欲しい。もし「柔軟で寛容なスタンス」を気取った奴が「正しい言葉は時代によって変動するのであり、未来永劫正しい表現など存在しない」といった意見を述べたなら、この記事を見せてやれば良い。
あるいは堂々とこう言って返り討ちにするのも結構だ。
まだまだ叩きのめす材料はあるがとりあえずこれくらいにしておこう。
【語義が共有されないと会話が成り立たなくなる】
(ポストモダンは)価値も言葉の意味も「脱構築」できると言うんですよ。水島さんにとってのある言葉の意味が僕とは違うんだから、と。
客観的に共有できる価値基準が無いと堂々と言いだしたのが彼ら(ポストモダニスト)。そうするとコミュニケーションできないんですよ。伊藤貫
【定義していない以上、議論してはいけない】
そのとおりです。定義していない以上、議論してはいけないんですよ。できるわけないんだもん。三橋貴明
【モデル思考の危険性】
過去でこういうパターンがありました。だから未来に(同じパターンが)ありますと簡単に言っちゃうんですよね。
(略)
常に過去と未来は非対称になっていて過去でこの10年間起きなかったからと言って未来で起きないとは限らない。柴山桂太
【民主主義社会では、愚民の意見(世論)が、政治を動かしてしまう】