「語彙力」なる造語がある。
目にした瞬間思った。胡散臭い言葉だと。
誰が「積極的」にこんな胡散臭い言葉を用いるようになったのか。話し方やマナーに関わり生業とする面々。
例えば「ビジネススキル向上」や「会話上達法」などを指南する人たちが、こぞって「語彙力」を持ち出している。
これが如何に悪質であるかを論じたい。
「語彙」とは倉庫の荷物
「語彙」の意味をまず押さえておかねばなるまい。
「豊富な語彙」という表現に示されるように「語彙とは、一定の領域に蓄えられた言葉たち」なのだ。もっと簡潔に述べれば「倉庫の荷物」のようなものが「語彙」の実態である。
「語彙=倉庫の荷物」に「力」という文字を足すとどうなるか。とたんに意味がボヤケてしまう。
といった具合に。
「語彙力」とはインチキ用語
「語彙力」の定義を説明している記事を見た。先述したgoo辞書にも「語彙力」の項目がある。
知っている言葉の数とそれを扱う能力
言葉の蓄積量とそれを巧みに組み合わせる技術
これが大凡の定義なのだそうな。
おや?っと思ったあなたはまともだ。
そう、この定義は下記の言葉と近似している。
- 会話能力
- 表現力
- 修辞
- レトリック
- トークスキル
- ライティングスキル
「語彙力」の定義に一見納得できそうだが、こんな造語がなくても「表現力」「会話能力」「レトリック」などを用いれば済む話なのだ。
「語彙力」の定義は後からひねり出したこじつけであり、こんな造語は全く不要なのだ。
「語彙力」なる言葉を強調する意図
「語彙力」なる言葉を強調する意図はまさにここにあるのだ。
こういった意図は近年急激に増えた「~力」という造語の全てに当てはまる。
「語彙力」もその一部なのだ。よく考えてみられたい。世間に「~力」が溢れていることを。
「力」という意味をわかっていない/出版社も犯罪的
一字付け足す必要がある言葉
文字をひとつ足すことで印象が変わり、別の意味として成立している言葉を挙げておこう。
「切手」は郵便封筒に貼り付けるもの。そこに「小」を足すと一定金額の支払いを約束する有価証券「小切手」になる。
「切手」と「小切手」は明らかに遣い分けられており、供に言葉として必要。
「工作」は授業の一環としての認識が強い。そこに「員」を足すと、政治色や思想色の意味合いを帯びた「工作員」になる。
「工作」は謀略の意味も含んでいるため、完全に分けることができない。
しかし、授業としての「工作」を他の言葉に置き換えることは困難である。よって各々必要。
「活動家」「書記長」「総書記」も同様。「活動」と「活動家」、「書記」と「書記長」「総書記」は各々必要な言葉である。
「語彙力」には上記のような根拠はない。「語彙」に「力」を足しても意味不明になるだけだ。
「~力」は概念詐欺
新語や造語ができる場合、新たな視点や切り口といったものがある。それらを例示してみよう。
例示を見ずに項目の結論に進む場合はクリック/タップ→【今だけ金だけ自分だけ】
※補足
既に馴染んでいる、かなり古い年代の言葉も含まれる。
これらの視点や切り口には重なる部分があり、明確に分類するのは難しい。
[新たな概念]以外にも、各分類に概念の下敷きがある。[新たな概念]から理論、構造、経路などに発展する。
新語や造語が生み出される視点や切り口をご理解いただけたと思う。
各々、それなりの根拠を基にできた言葉だ。それでもインチキは潜んでいる。[新たな理論][新たな概念]の箇所の「リカードの等価定理」「エスカレーションラダー」はその一例。
リカードの等価定理はインチキ
エスカレーションラダーはイカサマ
今だけ金だけ自分だけ
改めて近年にわかに増殖している「~力」を考えてみよう。
「力」を付け足した造語が本当に新たな視点、切り口、概念を持っているのだろうか。
答えは否。近年の「~力」に新概念なんてものはまるでない。あたかも新たな視点や切り口があるかのように錯覚させているだけなのだ。
「力」という文字を付け足す目的は新概念の言語化にあらず。集客率と購買率の向上、つまり儲けるために作られた言葉に過ぎないのだ。
「女子力」というのは女性に何らかの力を見出したものではない。「女子力」で付与されるのは「集客力」である。
「鈍感力」に置き換えても全く同じ。「集客力」を高め、商売に繋げようとするあさましい魂胆がそこにはあるのだ。
私はファッション・ディレクター「干場義雅」氏の提案する着こなしをよく参考にしているのだが、本のタイトルがいただけない。
出版社の入れ知恵だろうが、いくらなんでも「色気力」というタイトルには呆れる他ない。「いろけりょく」って何だよという不快な気持ちが先立って、購買意欲を削がれる。
「これだけでいい男の服」のほうが断然潔く「男らしい」。(「最強のコスパアイテム」の帯書きは頭悪そうだが)
【「語彙力」なる言葉を強調する意図】の項目の内容と重なるが、ここでも述べておく。
これが本質である。
「語彙力」の悪質さ
「語彙力」もそんな発想から作られた言葉であることに納得いただけたと思う。
ただ「語彙力」は他の「~力」と決定的に違う点がある。
それは
言葉の表現法を指導する人には忘れてはならない原則がある。
- 語義の重要性
- 変化の危険性
- 新語の信憑性
- 曖昧さに対する疑い
「語彙力」は、どの原則にも準じていない。代わりにあるのは今だけ金だけ自分だけである。
これらをレクチャーする人間が、インチキ用語である「語彙力」を平気で掲げるのは原則から著しく外れており、忌むべき状況。
こんな反論もあるだろう。
もし「語彙」を強調したいなら「語彙管理能力」のほうが妥当。しかしこれは語呂が悪いので不要だろう。結局のところ「表現力」「会話能力」「レトリック」などで充分カバーできる。
無添加商法との類似性
「会話上達法の講師/専門家」が「語彙力」というインチキ用語を押し出すのと類似した構図がある。
それは「無添加商法」だ。
これが「無添加商法」。
健康や安全を第一義に掲げている「無添加商法」の輩が、安全性の検証がまるでされていないアヤシイ成分を入れて消費者を欺く。
トークスキル/ライティングスキルを指導する者がアヤシイ「語彙力」なる言葉を全面に押し出す。供に胡散臭さがプンプン漂っている。
経済学者や経済評論家が「財政破綻」や「国の借金」なるアヤシイ言葉で煽り消費増税を推奨するのも似たようなものだ。
ここからは余談なので次項まで飛ばしていただいて構わない。→次項【「語彙力」定着は国民のマヌケ度に比例している】に進む
「語彙力」の増加率は国民のマヌケ度に比例している
私が今更この言葉のイカガワシサを主張しても無駄なのはわかっている。既にかなり蔓延している状況だからだ。
「無添加商法」にしても「語彙力」を含む「~力商法」にしても、結局のところ国民が否定し拒絶しなければ消えるはずがない。
「無添加」に関してはさすがにある程度の体裁を繕うようになった。「無添加」という謳い文句には健康に直結する事柄が多いためだろう。
「身体表現」から「語彙力」の胡散臭さを暴く
ここで視点を変え「身体表現」「身体言語」から「語彙力」の胡散臭さを暴いてみよう。
日本には既にお辞儀の仕草がある。よって、コンスに変える必要性は認められない。
ところが不思議なことにコンスへと変わりつつあるのだ。この時点で変化に対する懐疑を抱くのは当然である。
という声が上がるのは何らおかしいことではない。
では、どういった状況なら変化が必要なのか。
- 世の中の人が従来のお辞儀に謝意を感じなくなった
- または謝意として不十分だと感じた
この二つである。
仮に「謝意を感じない/謝意として不十分」であるならば
採るべき選択は三つ。
- 従来の仕草を調整する
- 別の時代からヒントを得る
- 別の地域からヒントを得る
何故か日本では[3.別の地域からヒントを得る]というのを選ぶ場合が増えている。
そんな疑問が浮かぶ。
この段階でも懐疑があってしかるべきと言える。
では、誰が[3.別の地域からヒントを得る]選択をしているのか。いわゆる「マナー講師」である。
この疑問に突き当たる。
要約すると下記の通り。
- 変化の必要性
- 変化させる際の選択基準
- 選択の根拠・信憑性
私の見解はこうだ。恐らく全て当てはまるマナー講師もいるだろう。
- マナー講師が朝鮮人
- マナー講師が朝鮮の影響を受けている
- マナー講師が儲けを増やすためのネタ
当然反論はあり、下記のように「コンスが朝鮮式である根拠は一切ない」と主張する人もいる。
だが、何れにしても胡散臭いということに変わりはない。わざわざ「変化させる道理」が見出だせないからだ。「語彙力」にも同じ胡散臭さを感じないだろうか。
お辞儀の画像集
アニメからお辞儀の画像を集めた。
時代背景様々、現実/ファンタジーの舞台を問わず「意図的に肘を横に張り出した所作」は見当たらなかった。
一部、槍やカバンの袈裟に手を掛ている場面があるものの、コンスの肘張りポーズとは明らかに違う。
やたらお辞儀が多い「そにアニ」にも「コンス」は一切なかった。
「コメを食べるとバカになる」から「SDGs」まで
あなたはこんなスローガンを知っているだろうか。
これはアメリカが余剰穀物を日本に押し売りするための作戦だった。同種タイトルの本は大量に売れたそうだ。
粘り気を出すタンパク質「グルテン」がアレルギーを引き起こすとして、問題視された。「グルテン」のアレルギーは0.2%。「グルテン過敏症」は全体の0.5~13%。
「グルテン不耐症」である「セリアック病」は欧米人で0.2%。ただし、除草剤「ラウンドアップ」の影響で5~10%に拡大しているという論者もいる。日本人の場合0.05%。
「グルテン」を避けるべき人を多く見積もって二割としても「グルテンフリー」を強要する風潮はどうも解せない。乳糖不耐症の人たちはどうするのか。他の過敏症や難病の人たちを蔑ろにするのかという声も出てくる。
結局のところ「グルテンフリー商法」のためのネタでしかない。
「グルテンフリー商法」のタチの悪さはこれだけで終わらない。ともすればもっと悪質である。それは「グルテンフリーダイエット」なる謎の減量法に利用されていること。言わずもがなこんなものは「大嘘」である。
「ダイエット」の語義の一つが「食事療法」なので、本来の意味に従い「グルテンフリー食品を優先して摂る」という行為自体を「グルテンフリーダイエット」と称するのは構わない。ただし、グルテンフリー食品を優先して摂る理由が「痩せるため」であるならば問題である。
「ダイエット=痩せる方法」という認識が定着してしまった世の中において「グルテンフリーダイエット」というのはまさにインチキで人を騙し金を搾り取る「ダイエット商法」に他ならない。
私にとって「グルテン」は釣りエサのイメージしかない。小学生の頃、コイやフナを釣るときによく使っていたエサが「グルテン」だった。
この記事を書いている年代における最も新しい商売ネタ。それは「SDGs」。
「環境保護」を利用し金を搾り取るための悪知恵。「SDGs商法」と呼んで差し支えないだろう。
言葉には思想や行動が絡みついている
上の項目をご覧頂いたとおり、人間はいつも何らかの商法に騙されている。「コメを食べるとバカになる」「グルテンフリー」「SDGs」のいずれか、あるいは全てに怪しさを抱いている人もいることだろう。
一方「~力」に関してはどうか。警戒心や問題意識が驚くほど低いと思わざるを得ない。
言葉による表現方法を説く人間が「語彙力」に何ら疑問を持たず、それどころか嬉々として用いている。
これを異常だと感じている人がどれだけいるだろうか。恐らく殆どいないだろう。
そのように冷めた目で見ている人もいるかも知れない。
だが、単なる流行だと思うことなかれ。「新語/造語/標語」には思想や行動が絡みついている。新規な言葉に乗せられる度、国民は思想を刷り込まれ、行動を操られるのだ。
近年でまともと言える新語や標語は「MMT」 「政府の赤字はみんなの黒字」くらいしかない。
訳のわらない言葉「~力」で思想や行動を制御されている人たちから被害にあう恐れは大いにある。
いや、実感していないだけで、あなたに被害は及んでいると思っている方がよい。
騙されたくなければ「語彙力」を批判せよ
あなたがもし、思想誘導を退け、無駄な出費を抑えたいのなら、胡散臭い言葉を徹底的に批判することを薦める。
とりわけ「語彙力」は、あまり胡散臭い言葉と思われていないだけに悪質度合いが高い。
「語彙力」を用いている人を見かけたら「おかしい言葉ですよ」と伝えていく。
その際「先生」の立場にいる人物を優先するのが効率的。話し方やビジネススキルを教えているような人だ。
もし先生や講師が「語彙力」を用いていたら、この言葉の無意味さと怪しさを強く訴えるべし。
こんな感じで意見を伝えれば良い。
この国はマヌケばかりだから、恐らく「語彙力」も消えず多くの人が騙され続けるだろう。私も実際意見したが「多くの人が用いている」ことを理由に拒否された。
それでも私は続ける。あなたもそうあってほしい。
前々からずっと思ってたんだけど、語彙力って表現はおかしい。 語彙=「ある人が用いる語の全体」だから、ある人の持つ語彙の多寡、貧富はあっても語彙力の有無はない。 「語彙力が無い」ではなく「語彙が少ない」、もしくは「ボキャ貧」が正しいと思う。
— 頁(おおがい) (@Notpoteo) February 21, 2013
そうですね、お疲れ様でした。これは知識だけを追い求めるスットコドッコイのお宝なんでしょう。大切なのは思考や創造(力はいらない)ですよね。
コメントありがとうございます。
はい、力はいりません。
筋トレ好きとしては筋力をつけなさい、と言いたいところです。
https://reasonable-fitness.com/yoshi/
(私の別ブログの記事です)