今回は防犯対策について。早速本題に入ろう。
防犯対策への疑問
防寒対策
防災対策
安全対策
SEO対策
セキュリティ対策
これらの表現を見てあなたの頭の中に疑問符が浮かばないだろうか。
もし疑問符が浮かばないとしたらあなたは相当「ヤラれている」。何に「ヤラれている」のか。それは「悪人」にだ。
えらく漠然としていて拍子抜けしただろうか。「悪人」の正体を明かす前に、冒頭の表現のどこがおかしいのか解説しよう。
無効用法
防犯対策
防寒対策
防災対策
安全対策
SEO対策
セキュリティ対策
日本人はコケにされている
一斉にこんな声が聞こえてきそうだ。
では何故「対策」という表現を入れたがるのか。それは「対策」を付ける方が注視されやすいと判断しているからだ。
ならば「犯罪対策」で良いのではないかと当然考えるわけだが、実際は「防犯対策」と混在している状態になっている。
どうしてこのような状態になるのか。「防犯も」入れたいという意図があるからに他ならない。
「防犯」大切ですよ!「対策」重要ですよ!
「防犯」と「対策」共に強調したいので「防犯対策」になってしまうのだ。これを親切心や配慮と捉えたあなたはすっかりコントロールされている。
企業や組織が「対策」を付けたがるのは「お前らはバカだ」ということの現れ。「防犯」だけでは注意喚起として弱いと判断しなければこんな奇妙な言葉は生まれない。
我々日本人はコケにされているというのが実情なのだ。しかも同胞である日本人から。
「対策グセ」は考える力を奪う
恐らく「防犯対策」という表現は「一応」親切心や配慮から始まったのだろう。しかし、世の中をよく見ていただきたい。
今や「対策」に溢れている。
節電対策
節税対策
耐震対策
防振対策
防水対策
防音対策
消臭対策
他多数
ありとあらゆるところで「対策」を見聞きする。もう完全に「対策グセ」が付いているのだ。
「対策グセ」の恐ろしいところは「刷り込まれる」こと。「刷り込まれる」とどうなるか。自分が遣うようになる。
そうなると考える力を奪われたも同然。「防犯対策のどこがおかしいの?」とすら思うようになるだろう。
実態と言葉の乖離
先日見つけたアマゾンレビューを転載しよう。
「減塩対策」と書かれていることにお気付きだろうか。ご本人は「減塩」を実践しているのだろう。しかし言葉上は「増塩」の方向を示している。実態と言葉が乖離しているのだ。
「減塩」に「対策」すれば「増塩」になるのではないかという「疑問符」すら浮かばない。これはとても恐ろしいことである。
大阪都構想や財政破綻論を徹底批判した、あの藤井聡氏ですらうっかり「防災対策」と言っているあたり、刷り込みは愛国的な知識人にまで及んでいる。
もっとも、藤井氏はラフな言葉遣いが多い。それ故に、国や政治に関心の薄い人にまで声が届き心に響く面があることは認めよう。藤井氏にその自覚が見受けられるのは私だけではないはずだ。
ただ、国の行く末に関心が薄い人々ばかりに照準を合わせていると、どこかで息詰まるのではないかと私は危惧している。救国せんとする理論の構築には語義と用法の精度が付きまとう故に。
藤井氏は話し言葉の勢いでつい「防災対策」と発してしまうのだろう。しかし、実態と言葉の乖離にもう少し慎重になったほうが良いのではないかと老婆心ながら思う。要は「災害対策」と表現する習慣にすれば済む話である。
「悪人」の正体
鋭い方はもうお気付きだろう。
「悪人」の正体は企業である。
少々乱暴な形容なのは否めない。本当に悪いのはあなたや行政組織をも含めた「世間」なのだが、それについては別記事にしてじっくり書こうと決めたのでかなり端折った。
「企業」に限定したほうが明快だという面もある。
企業の「二悪」
「無効用法」において企業には二つの悪がある。それは次のとおりだ。
客がバカである前提だから「防犯対策」という表現を用いる
「防犯対策という表現はおかしい」と意見を届ける余裕を奪っている
では、二つの悪ついて詳しく述べていこう。
【悪その一】「企業」の本音、そして「私」の本音
某テレビ局と某広告代理店の社長の発言がネット上に公開されているのを見たことがある。その要諦とはこんなものだ。
「客はバカだ」
その発言が誇張か捏造かは知らないが、およそ似たようなことを思っているのだろう。バカに照準を合わせて商売をしているのが企業の本音である。
モノやサービスを買わせるためなら「防犯対策」と掲げることもいとわない。
そう思うのは早計だ。
企業は営利を追求する存在である。ただし、社会に貢献する責務があってこそ営利が許されるのだ。私は社会貢献の中に「好ましい語義や用法の手本になること」も含まれると考えている。影響力があるから当然良いお手本であるべきだ。
だが、今の企業は株主ばかりが儲かるような仕組みに構造改革されている状態。そんな状態では「好ましい語義や用法の手本になること」は全く望めない。
【「対策グセ」は考える力を奪う】で書いたとおり「防犯対策」に留まらず世間は「無効用法」に溢れている。
責務を果たしていない企業が、世間の言語感覚の歪みに大きな影響を及ぼしているのは疑いようがない。そんな企業を「悪人」と呼んで何の問題があるのかというのが私の本音だ。
これが一つ目の悪である。
【悪その二】意見を送る余裕がない
もしあなたが、このように世間の言語感覚が歪んでしまうことを好ましくないと考える少数派だとしよう。私もそんな数少ない一人であり、言語感覚の歪みが不快で仕方がない。
幸い、今の時代は意見や批判を届けやすい仕組みがある。そして実際、意見や批判は多く届けられているようで「改善」と称し変更点を公開している企業もある。
例えば、某証券会社からは毎月こんなメールが届く。
ならば、少数派であっても意見を反映させることは不可能ではないはずだ。しかし、一向に「無効用法」は減らない。その理由を私なりに考えた結果、次の答えにたどり着いた。
意見を送る余裕がないから
では、どうして余裕がないのか原因を探っていこう。
余裕がない理由
どうして余裕がないのか。理由は二つある。
私憤ではないから
何のことはない。損得勘定に関係なく、私憤でもないことに対して意見を届ける余裕がないのだ。
損得勘定と私憤に直接関わらない事柄に時間と労力を使うくらいなら他に回すというのが実情だと思われる。
こんな感じだろう。
私憤と公憤を完全にわけることはできないだろうが、少なくとも「防犯対策」という表現そのものに個人的な怒りを抱く人はいない。
余裕をなくす発端
「防犯対策」に象徴される「無効用法」を訂正すべく企業に意見を届けないのは余裕がないから。厳密には「損得勘定と私憤に関係しない事柄」に対する余裕がない。ここまではご理解いただけただろうか。
損得勘定や私憤に直接関わらない事柄にアプローチする余裕を奪う発端も実は「企業」にある。
次は、その論拠を示していこう。
効率化の罠
余裕を奪う発端は「企業が推し進める効率化」にある。
ハテナマークいっぱいかも知れない。効率化は良いことではないか。効率化すれば時間と労力を省けて、他のことに使えるだろうが。例えば趣味にも充てられるし、のんびりネットサーフィンもできる。
ならば問う。何故、企業は効率化したがるのか。何故、あなたは効率化を欲するのか。「忙しいから」と多くの人は答えるだろう。正確には、忙しいと感じているからといったところか。
あなたは本当に忙しいのかよくよく観察してもらいたい。
効率化によって短縮した時間と軽減した労力をどんなものに充てているかじっくり見つめてもらいたい。
効率化によって余った時間と労力を効率化された別のシステム上で消費していないか考えてもらいたい。
どんな仕事でも真面目にやれば一日があっという間だ。専業主婦も同じく、真剣にやれば瞬く間に夜が更ける。学生でもクラブ活動を終える頃には遅い時間になっている。ただ、人は習慣化されていることにはさほど忙しさを感じない。
故にどうしてそんなに忙しいんだい?と私は問いたい。
およそ、スマートフォンでゲームしたり、
ドラマや映画を観たり、
LINEでつまらないやり取りしたり、
まとめサイトをハシゴして「どうでもいい」とコメントしたり。そんなところではないだろうか。
例えば、スマートフォンを買えば効率化して簡単便利にできることが増えるから、スキマ時間でアレもできますよコレもできますよと企業は言う。セキュリティにも役立ちますよとダメ押しする。
しかし実際はどうなったか。
はたまた
もっとやりこみ要素を増やせ
でも操作はもっと簡単にしろ
こんなことを要求しているかも知れない。企業が提案する効率化で、損得勘定と私憤は膨れ上がる。
こんな状態では「防犯対策」のような「無効用法」に対して最初から何も感じない人はあっけなく刷り込まれ、疑問を抱く人ですらその声を届けることの優先順位は下がり、いつしか無関心になる。
これが二つ目の悪だ。
企業を巻き込む悪循環
企業を悪人呼ばわりばかりしていると毛沢東大好きな「中内功」みたいになってしまうので「企業の辛さ」という面も交えながらまとめに入ろう。
先述した二つの悪は、発端である企業そのものにも影響を及ぼす。
企業が提案する効率化で膨れ上がった損得勘定と私憤は「企業」へ跳ね返り、尽きることのない要望に応える従業員はストレスが溜まる一方。
そのストレスを同じ組織内の人間に向けることもあれば、下請けにぶつけることもあるだろう。
ストレスを解消するために、くだらないまとめサイトや刺激的な文言に溢れたニュースサイトにアクセスし、コメント欄で言い争ったりしていることもあるかも知れない。企業側も悪循環に巻き込まれてしまうのだ。
効率化には大きな罠があることをご理解いただけただろうか。
まとめてみよう。
不要な悪感情が芽生える
更に効率化を求める
またくだらないことに埋没していく
私もソーシャルゲームを体験したことがある。あれはいくらやってもキリがない。
公憤から私憤へ
私は「防犯対策」のような「無効用法」の蔓延は社会がおかしくなるぞという公憤がある。それ故に実際に企業へメールを送るだけに留まらず、こうして記事でも訴えている。
私が実際に働きかけた記録はこちら。
しかし、あなたはまだ「そんなことどうでもいい」と思っているかも知れない。ならば、せめてこれだけは心の片隅に残しておいて欲しい。
あなたは常に企業からバカにされている
当記事内ですでに述べたことだが、これは公憤ではなく私憤になり得るはずだ。あなたが公憤ではなく私憤でしか行動しないのであれば、常に企業からバカにされていることを覚えておいていただきたい。
受け流し、先送りにし、刷り込まれ、忘れることは悪人を手助けしているのと同じだ。
悲しいかな、悪人呼ばわりしているその企業がなければ我々は三日たりとも生きていけない。ならば、企業には「好ましい語義や用法の手本になること」を求めるべきだと私は思う。
対策すべき例
こういうことには是非とも対策をしてもらいたい。
感染拡大に協力はイカン。慌てて投稿するのもイカン。こいつも「効率化の罠」にはまっている一人だ。
ただの用法変化だと思います
常にマジョリティの用法があり、それにズレたもの間違っていると指摘されたり、意図した意味で伝わらなかったり。これは点で見た視点で、線で見れば新しい用法(間違っていると指摘される用法)が生まれ、淘汰されそうやって言葉は変化しているだけとも考えられないでしょうか。
また、企業が顧客をバカにしている。という貴様の主張も「人間はロジックに基づいて物事を判断する」という前提が無意識に設定されていないでしょうか。シンプルに人は目の前のことにしか集中力を払っていないだけという可能性もありませんか?
ロジカル思考が正しい、優秀とされるようになったのは産業革命以降という意見もあるそうです。無意識に「最近」の価値観に囚われているように見えます。
あっ、貴様とは失礼しました。
かつては最上級の敬語でしたが最近は用法変化の結果、失礼な表現とされているそうですね。
コメントありがとうございます。
まず申し上げたいことは、あなたの意見は正しい。
寛容で良心的な方だとお見受けします。その上で返信をお読みください。
長年、あなたのような意見に触れてわかったのは
「変化容認論」に見られる特徴は3つあることです。
1.寛容さを重んじる
2.変化し続けてきたが不具合は認められない
3.間違っている側をほぼ全面的に擁護する
繰り返しになりますが、あなたの意見は正しいのです。私も賛成。
ただし条件があります。その条件とは「限定された領域で短期的に見た場合」。
・日常会話でちょっと間違ったくらい受け流そう
・いつも間違っているけど仕事が先に進まないから指摘しないでおこう
これが「限定された領域で短期的に見た場合」。
ところがこれには落とし穴があります。
1.「合成の誤謬」
2.「多数者の専制」
3.「センメルヴェイス反射」
上記3つの現象。これが落とし穴。
狭い範囲や個人では好ましいことでも「みんな」がやると問題が出る現象。
これが1.「合成の誤謬」。(例:みんなが貯蓄する/品薄商品に殺到する)
https://www.nicovideo.jp/watch/so24656441?from=275
https://youtu.be/T41kTiOObK0?t=469
大勢の価値判断が正しいとして少数派の意見が押しつぶされる。
これが2.「多数者の専制」。空気の支配と言い換えられます。
https://youtu.be/kc4P–XqqJ4?t=1975
正しい意見を言われても修正できない。
これが3.「センメルヴェイス反射」。
https://youtu.be/8ia1CFWMB7w?t=527
政治や経済ではこれらの現象が顕著に出ます。
つまり、多数派はその場の情緒を前提に価値判断をする故に大抵間違うというこです。
・混乱や貧困や苦痛の原因が「みんなの気分」で決めた方針だった
こういった歴史的悲劇を我々は知っているはず。
その揺るぎない歴史的悲劇に、なぜ言語の領域だけが関係しておらず、
原因の除外対象だと考えることができるのか。説明してくれた人はいません。
恐らくあなたも説明できないでしょう。
企業は無論のこと、政治や経済には当然ながら言語が関わっています。
言語には思想や観念が絡みついています。
言語、言葉選び、言葉遣いを気分にまかせて蔑ろにするような国や民族が
本当に永続できると思いますか?
私やあなたが生きている間は日本は続くかも知れません。
しかし、自分が生きている間だけ問題がなければ良いのですか?
そもそも、今の日本は属国状態です。
こんな状態の国が呑気に「言葉の変化という名の思想誘導に寛容」でいること自体異常。
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言葉をとことん追い詰める
https://vimeo.com/manage/videos/747150138
多数派は概ね間違っている
https://youtu.be/XYiLsRaUIbc?t=1155
多くの方に崇高で絶対で真っ当な判断があったら
日本はとうの昔にもっと天国に近づいているはずですよ。
ずっと多数決でやっているんですから。真理は概ね少数派に宿るもの。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm10344708?from=1322
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・属国でも特に生きるのに困らなかったらまぁいいや
・言葉だってその時代の気分で変えたっていいや
バカのお花畑そのものです。
記事では「対策」を主題にしていますが
私はこれだけを疑問視しているのではありません。
「対策」の扱われ方を通して
日本人の危機意識の低さを訴えているのです。
寛容という名の無責任、空気という名の専制、
ワンフレーズでいとも簡単に騙されるオメデタイ頭。
国防や経済には言葉遣いが関わっている。
巡り巡って生活にも影響を及ぼす。
言語を保守することの重要性に気付けと主張しているのです。
あなたが例に出した「貴様」ですが
「お前」も含めて確かに今は好ましい意味では用いられていません。
逆に「クソ」や「クッソ」は褒め言葉として用いられています。
私と「変化容認論者」の考え方が大きく違うのがこの後。
・変化容認論者
————————————
これまで数え切れないほど変化してきたから今後もそれで良い。
————————————
・私
————————————
変化とやらはなんと無責任でろくでもないものだろう。
こんなバカバカしい行いを平気で押し通す奴らの無神経さが腹立たしい。
もっと腹立たしいのは、そんな奴らの振る舞いを悪癖と捉えることができず
黙認する周囲の無責任さ。
単なる鈍感野郎のくせに、好ましい言葉遣いを提案する者に対し
器が小さい、カタブツ、視野が狭い、という印象操作を入れつつ
自分は広い視野と深い洞察を基に変容を認めているのだと演じて見せる。
「指摘するやつと違い、器が大きいんだぞ、大局観があるんだぞ」と言いたげに。
だが、それは詭弁に過ぎない。
まともな感覚があるなら、今後は悪癖に気を付けるべきと考えるのが当然。
何故素直に、「これからはお互いチェックしあって適切な表現を保持しよう」という
方向に進まないのか。それは今さえ大問題にならなければ構わないと思っているからだ。
つまり、変化容認論者の実像とは
「責任、関心、懐疑、の欠如と傲慢」で形成されている。
————————————
・昔と今では語義や用法は違うでしょ?
・あなただってそんな世の中で暮らしているでしょ?
・言葉とはそういうものなんですよ
これらは「変化容認論者」お決まりのセリフです。
もう見飽きた聞き飽きたという感想しかありません。
私は日常着を和装に戻せと言っているわけではありません。
埋め立てられた川を再び水で満たせと言っているわけでもありません。
未来の国や人々のことまで踏まえて物事を考えましょうと言っているだけです。
「ただの」で済ませていることが、どれだけ危ういかよく考えてみてください。
「地獄への道は善意で舗装されている」
この言葉をあなたはよく噛みしめるべきです。
他の記事も是非ご覧ください。
■管理人は反日である
■属国状態から「言葉の変化」を批判する
■日本語に関する他の媒体と当ブログが決定的に違う六つの視点
■「言葉を変えて何が悪い」とぬかすバカへ告ぐ。不完全なくせにこれ以上自由を望むな
■「言葉は生き物」という観念は平和ボケの産物である
■言語という堤防を自ら破壊する日本人
■語義用法変化肯定論者と私の意見が噛み合わない三つの理由
なるほど
勉強になります
20代の頃の私なら全面的に賛成しています。
当時、友人知人で短歌の真似事をやっていたのですが
寧ろ「言葉なんて好きなように変えてやるぜ!」
「ルールを壊してこそやる意味があるんだ!」
くらいの勢いでした。
あれから30年経ち、条件付き賛成になったのです。
いつかあなたにも賛同いただけることを願います。
コメントありがとうございました。
難しいことはわかりませんが
ご返信をざっと読んでいて感じたことがあります。
厳密な言葉遣いを追求しない→低い解像度で言葉を使う→細部に注意しなくなる。これをビジネスパーソンが行うと課題と打ち手を高い解像度で議論できない、さらに多くの人を意図したように動かすことができない、といった問題が生じビジネスが弱いものになりそうですね。
ビジネスが弱くなると国が生む付加価値が減る。
国にお金がたくさんあれば世界中から原油を買えますし、海路を守る軍隊も養える。お金がないとその逆で悲惨なことに。
バタフライエフェクトじゃないですが「使う言語で思考法変わる」とも言われますし
言葉は非常に大切なのかもしれませんね。
また乱文での返信ですが、よろしければご覧ください。
政府には通貨発行権があるので
「ビジネスの強さ=国にお金がたくさん」とは限らないのですが
もちろんビジネスの役割りは重要でしょう。
仰っしゃりたいことは、よくわかります。
>使う言語で思考法変わる
>言葉は非常に大切なのかもしれませんね。
同感です。そこに行き着いてしまいます。
人間共通の思考はあるでしょうが、独自性はどうしても出ます。
例えば、地盤や気候が違うと言葉が違う。思考や方針も違う。
土地柄と気質については大石久和氏が明快に解説しています。
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■「国土学」から考える日本人の進むべき道
シテ(都市)はラテン語のキヴィタス(civitas)から派生した。
「壁の内側の、人が密集している場所」という意味。
日本の都市に城壁という概念は含まれていない。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm9638695?from=478
■【土木チャンネル】 築土構木の思想 第十一回 後編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21846039
■【続編】日本初の国土学研究者 大石久和氏
災害で死ぬ日本人が抱える問題・日本人とはいったい何者なのか?(後編)
https://www.youtube.com/watch?v=tBH0crUMA4Y
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言語と思考についてはこちらが参考になります。
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基礎的思考回路というのは小中学校くらいまでの第一言語で決まる。
小さい頃から英語を覚えると思考回路が壊れる。
https://www.nicovideo.jp/watch/so25108738?from=1654
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最終的には言葉遣いが大切になってくると思います。
「軽視できなくなる」と言うほうが正確でしょうか。
危険を伴う環境では言葉を確認し合う。
あるいは最初から語義を明確にします。
鉄道、医療、航空、工業などに見られますよね。
厳格さの度合いこそ違いますが、
安全かつ円滑な営みを考えると点呼や復唱はバカにできません。
危機意識のレベルと言葉選びや定義の慎重さは関係しているはずです。
「防犯対策」のみならず、誤用が定着するのは「命に関わらない」からですが
1.「変えて別に良いじゃない」という楽観
2.「直接影響ないからそっとしておこう」という黙認
この二つの精神は世代を経るごとに民族や国の首を絞めかねません。
身近な間柄でも、無関係ではいられないと痛感する局面があります。
私は昔付き合っていた恋人と言葉の意味で激しく揉めました。
それはもう、醜くみっともない体験です。
「そういう意味で言ったんじゃない!」というやり取りを何度したことか。
終いには外国人と話している感覚に陥りました。
語義を強く意識し始めるのは案外こんなところからかも知れません。
日本人同士ですらこの状態。移民が進めばもっと大変でしょう。
世の中の言葉遣いは、連環、相互に関係していると思います。
企業(主にサービス業)、政治家、有名人と我々は縦軸。
いわゆる「マスコミ」やアクセスの多い「まとめサイト」も含まれます。
人気ユーチューバーや、テレビ出演が多い「専門家/知識人」
あなたがお書きの「ビジネスパーソン」もこちら。
我々同士は横軸。
企業、政治家、有名人の間でも横軸があるでしょう。
言葉遣いや語義はこれらの中を循環して形成されるわけですが
当然、好循環と悪循環があります。
往々にして悪循環になるのが言語。
悪循環とは先述した二つの精神の肥大と加速です。
1.「変えて別に良いじゃない」という楽観
2.「直接影響ないからそっとしておこう」という黙認
好循環に転換する手立てはどこにあるのか。
本気で民主主義を行使するなら「我々」が縦軸を通じて訴えかける。
企業、政治家、有名人などに適切な言葉遣いや
危機意識のレベルを高めてもらうべく情報提供を続けることです。
私が行った情報提供の一部はこちら。
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■【随時更新】管理人の活動実績
https://nippon-gengo.com/performance-table/
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とはいえ、私は今や民主主義に懐疑的でアテにしていません。
プラトンやトクヴィルという人と同じ意見になりました。
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■民主主義に対する批判(2013~2017年の発言まとめ) 西部邁 伊藤貫
https://www.youtube.com/watch?v=rGLCZKSxBz0
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それでもブログでこうやって足掻いているのですが。
私の活動は恐らく無駄に終わるでしょう。
>低い解像度
>高い解像度
的確な表現だと思います。まさに言い得て妙。
勉強になりました。どこかで遣ってみたいです。