今回は前置きなしで本題に入ろう。
日本中最強だらけ
どこを見ても「最強」が目に入る。一体、誰が誰と勝負して最強なのかさっぱりわからない。
今の日本人はそんなに戦うことが好きなのだろうか。もしそうなら、とっくにアメリカの属国から独立しているのではないか。
しかし、独立するどころか謎の選民意識があるだけで、宗主国から脱却する気運はどこにもない。
結局のところ「最強」を掲げるのは、アクセスアップや収益アップという個人的かつ利己的な目的なのだろう。まことに陳腐である。
利己的な目的で「最強」を掲げるのはご勝手にと言いたいところだが、アチラコチラで「最強」を目にするとさすがに嫌気がさすというもの。
哲学界隈では「史上最強の哲学入門」なる本がある。
「飲茶」というふざけた作家名もさることながら、自分の書籍を「史上最強」と掲げることができる廉恥心のない人間に哲学を指南できるのか。大いに疑問だ。
筋トレ界隈では「テストステロン」というイキったオッサンが実に痛々しいタイトルの本を出している。
「最強」ってお前は誰かと戦うのか?
食べ方に「最強」なる観念を持ち込むお前はアホなのか?
「最強」だけでは飽き足らず「超」まで付けるのはパッパラパーなのか?
そもそも「最強の食べ方」という文言が日本語の体をなしていない。
しかも、表紙絵の男とお前は全く似ていないだろうが。印象操作も大概にしろや。こうテストステロンに言いたい。
こんなタイトルを付けるやつが「科学的」と主張しても何の説得力もない。極端な言葉で飾らないと買ってもらえない本のどこが「最強」なのか私には理解不能だ。
「最強の経済学者」という記事タイトルも見たことがある。アタマがパーとしか思えなかった。
極端な言葉についてはこの記事でも語っているのでご覧いただきたい。
何と強さを競っているのか
巷に溢れる「最強」という表現には前提が欠けている。
この前提だ。
材料の圧縮強度や引張り強度なら、ランク付けして最強を決められる。そのものズバリ「強度」なのだから。
そして、そのランク付けは具体的に役立つ。例えば、建築や工業製品など。競技も最強を決められるだろう。
しかし「最強の哲学入門」だの「最強の食べ方」だの言われても
という疑問しか浮かばない。
そこに強さの概念は必要なのか
そもそもの疑問としてあるのが「そこに強さという概念を持ち込む必要があるのか」ということ。
「最強のお掃除グッズ」と言われたところで「はて?」としか思えない。
まだ「最適なお掃除グッズ」のほうがしっくりくる。ましてや「経済学者」なんて、強さの概念から程遠いと思うが。
哲学指南本のタイトルに「強さの概念」が果たして相応しいのかという問いすら素通りする人間が哲学を解説するとは恐れ入った。
最強は虚勢の現れ
ひしめき合う「最強」を見て思うのは「虚勢の現れ」である。
殊更に「最強」を謳うのは、まるでモテない男の典型的パターンを見ているようだ。
こういった陳腐な自己アピールはモテない男の典型的撃沈パターン。「最強」を連呼するほど自分の器が小さく見えるとは皮肉なものである。御愁傷様。