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不快な表現

「最強」を謳うほど自分の器が小さく見える

今回は前置きなしで本題に入ろう。

日本中最強だらけ

どこを見ても「最強」が目に入る。一体、誰が誰と勝負して最強なのかさっぱりわからない。

今の日本人はそんなに戦うことが好きなのだろうか。もしそうなら、とっくにアメリカの属国から独立しているのではないか。

しかし、独立するどころか謎の選民意識があるだけで、宗主国から脱却する気運はどこにもない。

結局のところ「最強」を掲げるのは、アクセスアップや収益アップという個人的かつ利己的な意図があるのだろう。まことに陳腐である。

利己的な目的で「最強」を掲げるのはご勝手にと言いたいところだが、アチラコチラで「最強」を目にするとさすがに嫌気がさすというもの。

哲学界隈では「史上最強の哲学入門」なる本がある。

「飲茶」というふざけた作家名もさることながら、自分の書籍を「史上最強」と掲げることができる廉恥心のない人間に哲学を指南できるのか。大いに疑問だ。

本のタイトルを見る限り、この飲茶という作者には己への懐疑、批判がない。日本人の自己批判の欠如について中野剛志氏が「日本の没落」の終章で言及している。

「日本の没落」より引用

村上は、日本人の思考の曖昧性は「解釈学的」思考の特性だと評しているが、そのような評価はレーヴィットには我慢がならなかったであろう。

ヨーロッパの批判精神は日本人の曖昧な思考とは対照的なものであるが、そもそも、解釈学も多元論的歴史観も、そのヨーロッパの徹底した批判精神から生まれているのだ。

(略)

高山岩男、梅棹忠夫、村上泰亮は、いずれも多元論的歴史観を提唱したという点では、シュペングラーと共通する。

しかし、三人とも、西洋中心の一元論的な歴史観の否定を通じて、日本の独自性を際立たせようとしたに止まり、いずれもシュペングラーのような自己批判の精神を欠いていた。

自己批判どころか、特に高山と村上は、新たな時代の歴史観や思想への転換を主導するのは、西洋ではなく日本であると自負していたのである。

筋トレ界隈では「テストステロン」というイキったオッサンが実に痛々しいタイトルの本を出している。

「筋トレが最強のソリューションである」

「筋トレビジネスエリートがやっている最強の食べ方」

「超 筋トレが最強のソリューションである」

「最強」ってお前は誰かと戦うのか?

食べ方に「最強」なる観念を持ち込むお前はアホなのか?

「最強」だけでは飽き足らず「超」まで付けるのはパッパラパーなのか?

そもそも「最強の食べ方」という文言が日本語の体をなしていない。

しかも、表紙絵の男とお前は全く似ていないだろうが。印象操作も大概にしろや。こうテストステロンに言いたい。

こんなタイトルを付けるやつが「科学的」と主張しても何の説得力もない。極端な言葉で飾らないと買ってもらえない本のどこが「最強」なのか私には理解不能だ。

「最強の経済学者」という記事タイトルも見たことがある。アタマがパーとしか思えなかった。

極端な言葉についてはこの記事でも語っているのでご覧いただきたい。

何と強さを競っているのか

巷に溢れる「最強」という表現には前提が欠けている。

何と強さを競っているのか

この前提だ。

材料の圧縮強度や引張り強度なら、ランク付けして最強を決められる。そのものズバリ「強度」なのだから。

そして、そのランク付けは具体的に役立つ。例えば、建築や工業製品など。競技も最強を決められるだろう。

しかし「最強の哲学入門」だの「最強の食べ方」だの言われても

誰と何を競っているの?
何を基準に最強を掲げているの?

という疑問しか浮かばない。

そこに強さの概念は必要なのか

この文言を見聞きして即座に浮かぶ素朴な疑問がある。

「そこに強さという概念を持ち込む必要があるのか」

「最強のお掃除グッズ」と言われたところで「はて?」としか思えない。

まだ「最適なお掃除グッズ」のほうがしっくりくる。ましてや「経済学者」なんて、強さの概念から程遠いと思うが。

哲学指南本のタイトルに「強さの概念」が果たして相応しいのかという問いすら素通りする人間が哲学を解説するとは恐れ入った。

期間や範囲を定めない「最強」はデタラメ

仮に比喩や誇張として「最強」を用いるにしても、期間や範囲を定めなければおかしなことになる。

ティーガーは第二次世界大戦時のドイツ軍において最強の戦車と言われている

地元じゃ負け知らず(意訳:地元では最強)

町内最強

平成仮面ライダー最強ランキング

前項目に続き、ここでも「史上最強の哲学入門」を槍玉にあげるが、このタイトルを意地悪く解釈すれば「今後、これに勝る哲学入門の媒体は現れない」と言っているようなもの。あるいは、今後一切哲学者は現れないという解釈もできてしまう。

「史上」を現時点という意味で用いているのだろう。だが、歴史というのは続く限り常に「史上」である。

つまり「未来においてさえも、最も優れた哲学入門コンテンツ」という見方もできるのだ。

未来では、より優れた哲学入門の手引があるかも知れないとは考えなかったのだろうか。その入門の媒体が「書物」とは限らないとは想像しなかったのだろうか。もしそうなら実に傲慢な態度だ。

語求(ごきゅう)
語求(ごきゅう)
そんな人間が「哲学入門」とは。いやー参りました。

最強は虚勢の現れ

ひしめき合う「最強」を見て思うのは「虚勢の現れ」である。

殊更に「最強」を謳うのは、まるでモテない男の典型的パターンを見ているようだ。

俺はこんな仕事しているんだぜ!
俺はこんな高級時計を身に着けているんだぜ!

こういった陳腐な自己アピールはモテない男の典型的撃沈パターン。「最強」を連呼するほど自分の器が小さく見えるとは皮肉なものである。御愁傷様。

[成功例]:カテゴリーK(コーカサスビートルアンデッド)封印→エボリューションキング→全13体アンデッドと同時融合

[失敗例]:カテゴリーK(タランチュラアンデッド)融合拒否→カテゴリーA(スパイダーアンデッド)分離

ファイヤーエンブレムさんなら「最強」を謳っても様になる。
男は度胸、女は愛嬌、オカマは最強

 

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語求(ごきゅう)
国防の観点から「鋭敏な言語感覚」の重要性を訴える。「言葉の変化全肯定論者」の軽薄さと危険性を独自の視点で暴き出す。「言葉は生き物」「言葉に寛容になれ」と心無い批判をされた人よ。あなたの言語感覚は間違っていない。そんな奴らに屈するな。国防に必要なのは核武装と言語の保守だ。アイコンはユルいが50代の筋トレおじさん。
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