「てかつか病」アレコレ
まずは「てかつか病」の起源から。
あなたもご承知の通り「と言うか」が起源。後に様々な派生を見せている。主な派生表現を挙げていこう。
「てか」
「ってか」
「つか」
「っつか」
「てーか」
「つーか」
「ていうか」
「てゆうか」
「っつーか」
「ちゅーか」
「ちゅうか」
「ちゅうか」は大橋巨泉だけにしてもらいたい。
「てかつか病」の症状
「てかつか病」の主な症状はズバリこれ。厳密には三段階ある。
相手の意見の否定
「てか」「つか」の起源である「と言うか」で説明するとわかりやすい。「と言うか」と発するだけで前段の話を否定または訂正ができる。その前段とは主に相手の話や意見。
ただ「と言うか」が頻用されていた頃は、相手の意見を否定する印象が強く、反発や批判が真っ当にあった。しかし「てか」「つか」のようなごまかし表現へと移行するに従い、反発や批判は弱火になる。
話題のリセット
「てか」「つか」などになると、相手の発言や自分の前段の話題を無いものにして仕切り直すことに躊躇しなくなる。
こうなれば「話題のリセット」の役割が主になる。
自分の否定
「話題のリセット」に慣れてくると、もはや話し相手の発言や自分の前段の話題すら必要なくなる。よって最初から「てか」「つか」を気兼ねなく遣うことができてしまう。
ここまでくると「てか」「つか」をやめられなくなる。やめられなくなれば「自分の否定」すら無自覚にしてしまう。「てかつか病」はこのような症状を引き起こすのだ。
「相手の話」を否定し「話題のリセット」を繰り返し「自分の否定」をし続けていることすら気付かない。実は悲惨な症状なのだ。
脚本家も「てかつか病」に冒されている
「と言うか」について脚本家の宮藤官九郎が「魔法の言葉」だと評していたらしい。「と言うか」を頭に持ってくるだけで話題を切り替えられるからだそうな。
脚本家にとっては確かに「魔法の言葉」かも知れない。しかも、世間で広がりつつあるから時代の空気を読んでいると逆に好感を抱かせることができると考えたのだろう。ほどなくして「てか」「つか」も浸透したため、より使い勝手は増したはずだ。
だが、脚本家が本当に「魔法の言葉」として認識して良いのだろうか。こんな表現にばかり頼っているから脚本が面白くなくなったのではないかと私は思う。
ドラマ、映画、アニメなどを観ていて「てかつか」を用いないとストーリーを駆動させられないとはバカな脚本だなと落胆することは多い。
あまり読まないマンガに対しても同様の感想を抱ている。やたら「てかつか」「てかつか」言わせている作家は構成能力が足りない印象しかなく、ガッカリさせられるのだ。
「てかつか病」の対処法
日常会話で少し遣ってしまうのは仕方ない。しかし、二回に一回くらいの高頻度で発言しているとなれば、完全に「てかつか病」に冒されている。ましてや、文章上で常用しているならばかなりの重症だ。
話し言葉ですら「てかつか」をろくに用いたことがない私が考える対処法は下記の通り。
無闇に話題転換をするなということ。
「ところで」を用いると、あからさまに前段と無関係な印象を与える。よって遣い所をよく考えるようになる。
「てかつか」などの表現は話の流れを無視して思いついたことを発する面があるのは勿論だが、実は自信のなさの現れとしての面もある。
文脈と無関係のことを思いつきで発してしまう負い目として「てかつか」などと前置きしてしまうケースがそれだ。おぼろげな自信のなさやテレがあるのだろう。
それをもっと自認すれば、少しは対処できるはずだ。