今回は「女子力」なる謎の言葉について。
もしあなたが、このあまりにも抽象的な言葉に疑問を持たないなら気を付けたほうが良い。
男性からはいずれ粗末に扱われることになりかねない。
まともな大人の女性は「女子」を自称しない

まず自覚してもらいたいのは「女子力」なる言葉はバカな女から金を搾り取るための撒き餌であるということだ。
あなたがまだ学生なら、薄汚い商売人が作ったこんな言葉に釣られるのも、かろうじて仕方ないと思える。
しかし、周囲から大人だと認知される年齢や立場の女性が「女子力」なる撒き餌に飛びつき「女子」を自認または自称しているなら、言語感覚を見直すべきだ。
まともな大人の女性は「女子」を自認または自称しない。何故なら「女子力」や「大人女子」や「女子会」などの言葉には、思考を操り金銭を搾取するという作為があからさまに見えているからだ。
それなりに人生経験がある女性なら商売人の作為に気付けるだけの勘が働く。
これらの言葉に警戒センサーが働かない人は心のメンテナンスを薦める。
前々からずっと思ってたんだけど、語彙力って表現はおかしい。 語彙=「ある人が用いる語の全体」だから、ある人の持つ語彙の多寡、貧富はあっても語彙力の有無はない。 「語彙力が無い」ではなく「語彙が少ない」、もしくは「ボキャ貧」が正しいと思う。
— 頁(おおがい) (@Notpoteo) February 21, 2013


まともな大人の男性も「女子」と呼ばない
商売人の作為に対する警戒心が働くのは、当然男性にもある。
こういった小賢しい理屈にも惑わされない。本質は「やたら『女子』という表現が増えた」ことにあると見抜く。そして、思想を誘導し、消費行動を促したい魂胆を見透かす。
そんな男性は大人の女性に対して安易に「女子」とは言わない。
身体目当ての男がターゲットにするのは当然
「女子力」や「大人女子」を自認する女性は、薄汚い商売人の肥やしになるだけではない。
身体目当ての男からも狙われやすい。そんな男たちは積極的にあなたを肯定する。
そんな甘い言葉であなたの自意識をくすぐり煽てる。
ファッション、ヘア、メイク関連のメディアや恋愛関連のサイトなどが作ったフワフワキラキラした言葉に踊らされるような女性のフトコロに入り込むのは、彼らからすればさほど難しくない。
そこで
と勘違いすることなかれ。
「女子力」というフワフワキラキラした雰囲気ワードに浮かれているような女性を誰が大切にしてくれるだろうか。
いずれは雑に扱われるのがオチだ。男の性欲を吐き出したいときにだけ必要とされる悲しい関係になるのは目に見えている。
若いというだけでは価値がない
「女子会」なる言葉も同じ。
「女子会」と言ったところで、実態はおばさんの井戸端会議でしかない。「女子会」なる言葉で得をするのは、目先の利益しか考えない商売人くらいなもの。
断っておくが、おばさんの井戸端会議が悪いと言いたいのではない。寧ろ良い会話の場だとすら思う。それがたとえ愚痴大会であっても。
私は、若いというだけで高い価値を見出さない。故に「女子」なる言葉の若作りに乗せられるのは逆に価値を下げると考える。
自己肯定は大切だが「女子力」なんて言葉でそれを得ることはできない。そんなものは自己肯定ではなく自己欺瞞。
あなたの魅力や価値はきっと別のところにある。「女子力」というマヤカシから距離を置く。それが本当のあなたの魅力を見つける第一歩だ。
もうそろそろ「女子力」なる奇妙な言葉に擦り寄り、内実にそぐわない若作りをするのはやめよう。
そして、まともな言葉を探そう。
「力」という意味をわかっていない/出版社も犯罪的
言葉の悪用と変質
私はこう先述した。
「女子」なる言葉の若作りに乗せられるのは逆に価値を下げると考える。
これは「力」や「大人」などを付け、造語化したせいで「女子」そのものの印象が変化したことの弊害なのだ。
造語化以降「女」や「女性」と称するのが自然な状況にも関わらず、わざわざ「女子」と表現する人が増えた。これは「女子」という言葉そのものが変質したことを如実に現している。
「女子」と発すると、あたかも自分が若返ったかのような気分を得られたり、デコラティブな要素を加味できると感じたりするのは、造語化が盛んになった後であることは間違いない。
強欲な商売人は「女子」という言葉を悪用した。そして、「女子」という言葉を変質させてしまったのだ。
私は「女子トイレ」や「女子100m走」などの言葉にすら抵抗が出てきてしまっている。あなたはどうだろうか。強欲な商売人は実に罪深い。
棋士のように「女流」を用いるのも大仰に感じられるので悩ましい。
兼高かおるさんは「女」と言っていた
紀行番組「兼高かおる世界の旅」で知られる「兼高かおる」さん。平成三十一年に亡くなられた兼高さんは生前、このようなことを語っていた。
外国、風景もですけど、外国の人たちはね、そのときに私たちは見られている立場です。見られているときに私は日本代表でございますので、特に女の代表です。
あの当時は私ども女は女のマナーと言うのがあって、それが外国には非常に優雅に見えたようです。外国を知って日本も知る。
日本を知って外国を知る。そういう両方をね、知っていくのが国際化なんですね。
兼高さんは「女」をサラリと用いている。これで良い。私は兼高さんが大好きだ。
長距離の女/ジャンプの女/反復横跳びの女/チアの女/都会の女
「女子」を用いずとも「女」や「女性」で済む場合は結構ある。
女性よ怒れ
「女子アナ」なんて言葉が一般化するのも本来は異常なのだ。
なぜ男女区別なく「アナウンサー」だけではダメなのか。区別するにしても「女性アナウンサー」と呼称するほうが適切なはずである。
答えを述べよう。
「フジテレビ」が女性アナウンサーをアイドル化して売り込もうという魂胆があるから「女子アナ」なのだ。
ついでに言うと、何故「女性アナウンサー」ではなく「女子アナウンサー」でもなく「女子アナ」なのか。
「アナ=穴」の意が暗に込められているからだ。「穴」とは女性器のこと。
女性たちよ、あなた方は心無い商売人から蔑視されているのだ。変質しきった「女子」呼称に踊らされている場合ではない。
怒れ!そして「女子力」や「〇〇女子」というバカワードを地面に叩きつけてやれ。
