「難易度」。つくづくアホな表現だと思う。恥ずかしながら私はこの表現がアホだと長い間気付かなかった。
ぼんやりと「難度」の格好良い版、グレードアップ版だと認識し、一度だけ遣おうとしたことがある。そのたった一度が、私に「難易度」のアホさ加減に気付くきっかけを与えてくれた。
刷り込まれていると気付けない言語空間

私はある日、インターネット上に感想を書いていた。そこで何となく「難易度」とタイピングしたのだが、どうも引っかかる。タイピングするまでは何の引っかかりもなかったのに不思議だった。
毎夜、寝る前に「頭文字D」を観ていた頃がある。「ウルトラDの難易度」と沙雪が言っていることに何ら違和を抱くことはなかった。
その後も「難易度」と目にしても耳にしても、とりわけおかしいと思うことはなく、寧ろ「ちょっとイカした言い回し」くらいに思っていた。
故に初めて「難易度」とタイピングしたときに、引っかかりを覚えたのは実に奇妙だったのだ。今まで変だと感じていないのに不思議である。
そこですかさず検索すると「おかしな表現」だとすぐにわかった。そして「難易度」を削除し「難度」とタイピングし直した。私は恥を晒すところだったのだ。
その頃から言葉には慎重だったのだが「難度」ではなく「難易度」のほうが好印象だった自分に愕然とし、世間のデタラメな言語感覚を刷り込まれていたことに恐ろしさを覚えた。
「難しさ」と「易しさ」が同時に高い?
「難易度」は現実に測定不明の尺度である。
「難しさ」と「易しさ」という対立する尺度が共に高い低いなんて、どう考えてもおかしい。
「難易度5」のように数値で表せば問題ないと反論するバカがいるかも知れないが、実際は「難しさ」の尺度しか基準にしていない。
ならば「難度5」で良いではないかという答えになる。
「難易度」のような表現を私は「衝突語」と呼んでいる。語義が衝突して意味不明になるからだ。一般的には撞着話法と呼ばれている。
「衝突語」に関してはこの記事でも採り上げている。併せてご覧いただきたい。

言語破綻に加担するゲーム界隈

「難易度」の発端はテレビ局らしいのだが、蔓延させたのは間違いなく「ゲーム界隈」だ。
あの界隈はロクなことをしない。「納金」「支払い」「購入」などの表現を対義語の「課金」で踏みにじっても平気な奴らだ。
「難易度」にしても「難しい」ことと「易しい」ことが同時に高い低いというのは明らかにおかしいのだが、奴らは平気で垂れ流す。
「ゲーム界隈」の悪質なところは他分野まで侵食し、世間全体の言語感覚を狂わせることだ。
「ご安全に」なる言葉がある。これは、製造業・建設業の現場での安全意識高揚のために掛け合う言葉だ。
だが、この「ご安全に」は世間全体に浸透していない。あくまでも「製造・建設界隈」でキッチリ収まっている言葉である。
他方「難易度」や「課金」は「ゲーム界隈」のみならず広い分野に浸透し、世間で当たり前の表現としてのさばっている。
世間全体に浸透するなら「ご安全に」の方が私は良いと思う。
頑固な汚れはなかなか落ちない

「難易度」ではなく「難度」が好ましいと、私はできる限り提案してきた。個人・企業問わず。コメント欄があればそこにも書き込んできた。
今のところ多勢に無勢で、一向に世間の言語感覚は改善しない。長年こびりついた頑固な汚れはなかなか落ちないのである。
私とて長年気付かなかったのだから、致し方ないと思う。
誤用の発端と思われるテレビ局は「難度」に改めた。放送内で解説者も「難度」を用いている。
だが、時すでに遅し。企業は未だに「難易度」という表現を垂れ流し、バカ日本人はそれについて何の批判もしない。
恥ずかしい表現とだけ覚えておこう
「難易度」や「課金」の蔓延を元の状態に戻すのは困難だろう。しかし、これだけは覚えておいてもらいたい。
まともに日本語に向き合えばこれらの表現がいかに恥ずかしいか実感できるはずだ。あなたは、子孫や日本語を勉強する外国人にまで恥をかかせたいのか。
よくよく考えてみるべきだ。

