奇妙な言葉「歴史修正主義」
よく見ると奇妙な言葉だ。それどころか「表現の体をなしていない」とさえ言える。
何故なら人の営みにおいて「修正」は付随するものだからだ。分野や規模に関わらず「修正」は不可避である。
「修正」とは「ただしく」「なおす」こと
分野や規模に関わらず「修正」が不可避なのは語義を参照すれば明らか。
「修正」の語義
「修」
おさめる/まなぶ/なおす
「正」
ただしい
「修正」とは「だだしく」「なおす」ということ。
「主義」として掲げるか否かに関係なく、必須なのだから「修正」は何事においても付いて回る。
「修正=必須作業」
というわけだ。
現代は「修正依存社会」
社会と「修正」の結びつきを例示する。
赤子が言葉を覚える/歩く/手を使う
各科目の採点と添削
クラブ活動での練習
原稿の校正
仕立て服の仮縫い
歯科医療(虫歯治療/差し歯/歯列矯正)
弾道予測
工業製品の安全性テスト
医薬品の試験/治験
認知行動療法
測量/地図作成
天気予報
ソフトウェアのバグ修正
他
現代の生活に欠かせない「ソフトウェア」はまさに「修正」がつきもの。「修正」抜きに運用は不可能と断言できる。
「ただしく」「なおす」。この作業を怠れば、とたんに不具合が生じるのは明らか。
現代社会こそ「修正」に強く依存しているのだ。
「無修正」で社会は維持できない
仮に「無修正」の分野があったとしよう。その悪影響はすぐさま社会全体に及ぶ。
「脱穀」という「修正」がなければ、我々は満足にご飯を食べることはできない。無論、飲食業界は商売にならなくなる。
「GPS」による「修正」抜きでカーナビゲーションは機能しない。
「作画監督」の「修正」によってアニメーションは支えられている。
いわゆる「無修正」のアダルト動画であってもカット作業や明度調整などの編集が入る。その時点で厳密には「無修正」とは言えない。
「無修正」で社会は維持できないのだ。
「歴史修正」の実情
「歴史修正」が必要なのは「古代」くらい
多くの分野で「修正」が必須なのを提示した。では「歴史」はどうだろう。
前項を否定するようだが、シナあたりの地域はともかく、こと「日本の歴史」に関しては「修正」をあまり必要としない。
「古代」に関しては発掘物によって「修正」されることもあるが。
IT社会を生きる我々は「着信履歴」や「購入履歴」を利用しているが、「修正」されることはまずない。
「着信履歴」や「購入履歴」を構築するシステムには修正が加えられるが記録そのものは変わらないのだ。
IT社会の時代ほどではないにせよ、少なくとも日本の歴史は概ね「修正不要」である。
江戸時代はかなり詳細に「歴史」が明らかになっているし、明治から現代に至るまでは、より「歴史としての精度」は上がっている。
「近代日本」の場合「修正」の余地は少ない。あったとしても微修正くらいだろう。
日本の元来の歴史は修正を要しないほど確度が高い。
「歴史修正」は「歴史捏造」への対抗措置
前項までの事柄を整理しよう。
「修正」は社会に付随する作業
「修正行為」を否定するのはおかしい
日本の元来の歴史は概ね正確
よって古代以外「修正」の必要性は少ない
ならば何故、否定的に「歴史修正主義」なる言葉を用いるのだろうか。
答えは簡単。
「歴史捏造」に対する「修正」をされると困るからだ。
「歴史修正」の実情とは「歴史捏造」への対抗措置。知っていた人も多いと思う。
「歴史『捏造』主義」が「歴史『修正』主義」を作り出す
つまり「歴史捏造」が「歴史修正」という行為を作り出しているのだ。
「歴史捏造」の具体例
どのような「歴史捏造」がなされているのかを少しだけ挙げよう。
日本は他国に対し残虐の限りを尽くした野蛮国
日本は覇権欲が甚だしく朝鮮半島を侵略して占領下においた
日本人は南京で30万人を虐殺した非道な民族
日本は朝鮮人を強制連行して過酷な労働をさせた
あなたも当然ながらご存知だろう。これらが明らかな「歴史捏造」であることを。他にも日本に対する多数の「歴史捏造」がある。
ポツダム宣言の基になっている「カイロ宣言」にも「日本は野蛮国」だという趣旨の文言が記されている。
故・西部邁先生がカイロ宣言を「ゴロツキの文章」だと揶揄していた通り、あれはズサンな「歴史捏造」なのだ。
「歴史修正主義」なんてチャンチャラおかしいとしか言えない。
「歴史修正」で「正しい立ち位置」を把握する重要性

あなたにも「歴史修正主義」なる言葉が奇妙に思えてきただろうか。では、ここから「歴史捏造」に対する「修正」が重要な理由を述べよう。
歴史というのは「立ち位置」を示す大きな足がかりになる。「立ち位置」を知るには「たどり着くまでの道のり」や「今の状況に至る経緯」が必要になる。
「たどり着くまでの道のり」や「今の状況に至る経緯」は個人にもあるし、村や街にもある。もちろん企業や都道府県にもある。
そして「国」という単位において「立ち位置」は大きな意味を持つ。
「捏造された歴史」を基にすれば「日本の立ち位置」を誤認する。「立ち位置」を誤認した日本人は間違った道を歩んでしまう。
歴史「修正」で「正しい立ち位置」を把握することは、今後の日本にとって「最重要」なのだ。
大きな話題になったタッカー・カールソンによるプーチン大統領へのインタビュー。
その際プーチンが「まず歴史の話」をしたのも、この「正しい立ち位置」の把握が重要だと知っていたからだ。
「雰囲気言葉」による侵略
「歴史修正主義」とは何なのか
「歴史修正主義」とは何なのか。単なる「雰囲気言葉」に過ぎない。
「歴史修正主義」という訴えを見聞きすれば、あたかも重大な問題提起をしているように感じてもらえる。そうすれば日本の立場が不利になる。
そんな目論見をするのは外国勢力や国という枠組みが邪魔な人間。「雰囲気言葉」で日本を封じ込め、更には侵略を仕掛けてきているのだ。
国防にとって言葉が重要な理由
私が言葉を重視するのは、侵略や搾取による貧困化を心配しているからだ。
実際に社会を動かすのは「言葉」である。
どうして企業が「ビッグデータ」や「流行語」に敏感なのか。売上に繋がるからだ。
政治家は「世間の言語感覚の水準に合わせた」主張をする。それ自体は悪くない。
だが、もし政治家が「侵略者や国という枠組みが嫌いな者たち」の言いなりになっていたらどうなるのか。
「雰囲気言葉=国民を欺く手段」に成り果てる。「一億総活躍社会」「地方創生」などはその典型。
普段の言葉遣いは国家の存続に影響する
親が言葉を変えれば子供の将来が変わる/日本語教育が薄っぺらだから英語化でも良いということになる
論理的間違いを増やさないために言葉の定義を丁寧にする
専門用語に限らず言葉の定義をはっきりしないと話が噛み合わなくなる
「歴史捏造主義者」への反撃方法
反撃方法1.(非推奨)
「歴史捏造主義者」には反撃しなければならない。日本の命運に関わるからだ。未来の日本人の生命と財産を護るため、と言い換えてもよい。
近頃の私が傾倒している考えを述べよう。
日本のために街宣活動する人たちに対して「歴史捏造主義者」だのと叫ぶ輩をリンチする。
要は暴力による鎮圧。相手が暴力的なのが常なので、反撃手段としては妥当。
「片っ端からブチ殺せ」というのが本音だが「日本舐めるな」という意思表示で「これくらいにしておいてやる」のも有効。
そういった意見はごもっとも。だが温厚で善良な日本人が民主主義を行った結果「歴史修正主義者」の横暴を許しているのも事実。
そろそろ日本は「片っ端からブチ殺せ」くらいの気概を持つ時期だと私は強く思う。
反撃方法2.(推奨)
沈黙の螺旋の実行
「片っ端からブチ殺せ」くらいの気概を持った上で実用性のある方法を考えてみた。
「沈黙の螺旋」とは訴える相手が疲れて沈黙するまで相手をしないという手法。
「報道しない自由」を行使するマスコミ
不買運動に近い手法
このようにイメージすればわかりやすいだろうか。
ただ、不買運動はあえて「不買宣言」をして意思表示をする場合がある。
それとは違い「沈黙の螺旋」は「いないもの」「虚言」として徹底的にとりあわない。「聞く耳を持たない」「意に介さない」「門前払い」といった感じ。
ただし、現代の「沈黙の螺旋」は不買と併用する必要がある。
沈黙の螺旋は暴力行為と同等の難しさ
「沈黙の螺旋」は「片っ端からブチ殺せ」に比べ心理障壁は低い。だが実行するハードルは同じくらい高い。
何故なら「数」と「時間」が鍵だからだ。「多くの人」が「長期間」実行しなければ成功しない。下記のように二段階のプロセスを要する。
1.正しい世間知を獲得する(正しい歴史を知る人を増やす)
2.「歴史『捏造』主義者」をキチガイとして避ける
今の教科書は「歴史『捏造』主義」に染まっているのでアテにならない。故に各々が本来の歴史に辿り着く必要がある。
「片っ端からブチ殺せ」という暴力行為よりも、こちらのほうが日本人に向いているだろう。しかし、乗り越えなければならない壁は高い。
それでも私は「沈黙の螺旋」という手法を勧める。
「歴史捏造主義者」に「正しさ」を突きつけても無駄
反撃手段を示したのには理由がある。
それは「正しさ」を突きつけても「歴史捏造主義者」には響かないからだ。己の利益になれば勝ちという目的意識の相手に「歴史の正確性」は何の意味もない。
勝つことだけを重視しているのだから、「捏造」や「デッチ上げ」なんて当たり前なのだ。
日本が直接ターゲットになった例では「南京大虐殺」や「慰安婦」や「徴用工」など。
日本が積極的に「正しさ」を発信していないのは問題だ。しかし、仮に「客観的な歴史的事実」を提示したとしても、状況はあまり好転しない。何故なら、奴らは「勝つことだけ」を求めているからだ。けっして「真実」を求めていない。
私がこう述べたのは「客観的な歴史的事実」を相手に突きつけても無駄だからだ。
IT社会こそ「歴史」に頼っている
ここは私論を補強するための項目。興味のある人だけお読みいただきたい。