慣用されている表現にはしばしば「奇妙」なものがある。例えば記事タイトルにも書いている「稀によくある」や「多少」だ。
意味が矛盾していることは誰の目にも明らかなはずだが、廃れるどころか、皆こぞって用いているように思えてならない。
こんな単純な矛盾についてわざわざ言わなければならないのは、同じ日本人として非常に恥ずかしいが、見てみぬフリも気分が悪いので記事にした。
では、具体的に矛盾点を書いていこう。
「稀によくある」の矛盾
「稀に」と「よくある」から構成されている。厳密には「よく」と「ある」も分けるべきだろうが、ここでは省略する。
「稀に」は頻度が低い
「よくある」は頻度が高い
「稀に」なら「よくある」わけがない。言葉が衝突して意味不明になっている。
「多少」の矛盾
下記の例文をよく読んでもらいたい。
1.多少熱があっても出勤しろ
2.多少領海に入られたくらいで戦争するなんて絶対反対!平和憲法守れ!
3.多少痛みを感じるでしょうがお子さんの足は問題ありません
多ければ問題あるだろと思った人の言語感覚は正常だ。もっとも2.と3.は少ない場合であっても問題なのだが。
「多少」という表現はつまるところ「多」の要素がほぼ無意味化している。「少」の部分だけに重点を置いているのだから「多」は不要。
ならば「多少」ではなく「少々」や「若干」や「やや」などを用いるのが適切である。
この記事を書いているときに気付いたのだが、人は多いか少ないかをうまく把握できない存在なのかも知れない。
「衝突語」とは
「稀によくある」や「多少」は言葉の衝突が起こり意味不明の状態になっている。
意味や状態が対立する言葉の組み合わせ。それが「稀によくある」や「多少」なのだ。
これらは一般的に撞着話法と言われるが、私はあえ「衝突語」または「衝突表現」と呼んでいる。
衝突語色々
「衝突語」は他にもある。
「できない可能性」
「普通に犯罪」
「偽善者ぶる」
「難易度」
これらも言葉の衝突が起こり意味不明の状態になっていることにお気付きだろうか。
「できない=不可能」+「可能性=できる見込み」
適切なのは「できない恐れ」「できない疑い」など
「普通に=標準・通常」+「犯罪=標準・通常・法律を逸脱」
適切なのは「まぎれもない犯罪」
「偽善者=善意を偽る者」+「ふりをする」
適切なのは「善人ぶる」
「難=難しい」+「易=易しい」+「度=レベル」
適切なのは「難度」
「可能性」と「普通に~」と「難易度」については個別記事にしている。
「普通に~」の記事はこちら。
「難易度」の記事はこちら。
「可能性」の記事はこちら。
仕方なく用いる例
「加減」に関しては、どうしても用いなければならない場面がある。「いい加減に~」と表現する以外に方法がないことは多い。
ただし「加減」に組み合わせてはならない言葉がある。「多少」はもちろんのこと「少々」「少し」「若干」「やや」などの言葉を組み合わせると明らかにおかしくなってしまう。
「多少加減した」「少々加減しよう」「少しは加減してよ」「若干加減する」「やや加減しよう」
書き出した上でしっかり見るとやはりおかしい。
この場面の状況なら「加減しました」ではなく「抑えました」「弱めました」といったセリフのほうが好ましい。
「かんよう」に「ふかんよう」であれ
商品レビューかブログ記事かは忘れたが「多少少ない」と書いている人がいた。
何がなんだかさっぱりわからない状態だ。文意を汲み取らないお前が悪いと反論するのも結構だが、この稚拙さにも苦言を呈してもらいたい。
「慣用句」を無防備に採り入れていると、知らぬ間に「衝突表現」や「矛盾表現」をする恐れがある。それは非常に恥ずかしいことだ。
「慣用」には「不寛容」でいるくらいの姿勢で丁度良いと私は思う。
笑ってしまった表現
こんな表現に出くわしたことがある。不覚にも笑ってしまった。
ごく普通の巨大迷宮
必ずや恐らく/恐らく違いない/恐らく間違いない/間違いないきっと/必ずきっと/間違いないと思う