「人類が携えるべき七教訓」なる大それた記事を投稿する。
タネを明かすと私が考えたのではない。
古今東西の先人が残した教訓を、私なりの表現でまとめたものだ。
「九条保守」という見慣れない用語だけは私の発想である。
人類が携えるべき七教訓
いきなり七教訓を列挙しよう。
1.多数派の気分で決めた方針はロクな結果にならない
2.方針転換は過去の出来事を参考にゆっくり慎重に行うべし
3.新技術を急速かつ大規模に導入すると社会が混乱し腐敗する
4.規制のない自由は非情な弱肉強食社会を生む
5.独自の慣習や宗教が確立されている異質な社会には干渉するべからず
6.人類は上記の教訓を後世に引き継ぐのが不得手である
7.故に人類は同じ過ちを繰り返す
あなたに何らか思うフシがあっただろうか。実はこれこそ「保守思想」である。
時場所問わず「天皇陛下万歳!」と叫ぶのが本当に保守なのか
八月十五日に靖国神社に参拝することが本当に保守なのか
日本を全肯定し中韓を批判すれば保守なのか
もしこの七教訓が根底にないならば、保守とは言えない。
いわゆる「保守」を自認している大半がこの七教訓を携えることなく、言論活動を展開したりデモ行進をしている。これらの人達は、故・西部邁氏が言うところの「反左翼」であり、伊藤貫氏が言うところの「反動保守」だ。
中野剛志氏に至っては「バカ保守」とまで揶揄している。同席していた西部氏も流石に「バカ保守と言ったらダメだと思う」とたしなめていた。
だが、後にほぼ全ての日本人に向けて「JAP.COM」の蔑称を投げつけたのだから、結果的に中野氏に同調したということだ。
恥ずかしながら、私も護憲左翼と揶揄される人や不逞な朝鮮人を批判していれば良いと思っていた。当ブログの記事タイトルを見ていただければわかるだろうが、今でも「反左翼」「反動保守」のような態度に逆戻りすることがある。
ただ、以前と違うのは、七教訓に照らし合わせ「この記事は保守から外れているな」という自覚を持てるようになったことだ。
護憲派は本質的に保守である
「人類」と書いているように、この教訓を携えるべきなのは保守を自認する人に留まらない。「戦争させない!」「平和憲法を守れ!」と叫んでいる人達にも必携なのだ。
寧ろ、この教訓にこそ、護憲派の主張を後押しする論拠がある。
実際に当てはめてみよう。
軍国主義に傾倒したのは間違いだ
ユーラシア大陸にまで足を踏み入れたのは覇権的でイカン
明治以降、武器が近代化し兵士も優秀だったばっかりに国内の士気が高揚し戦線が拡大した
韓国を併合したり対華二十一か条要求を突きつけた
この失敗を戦後日本人は忘れている
だから我々は「護憲」を訴える
「4.規制のない自由は非情な弱肉強食社会を生む」
これ以外は見事に当てはまる。
こうやって見ると無意識に教訓を携えているのは「護憲側」であり、その意味においては筋の通った「保守」なのだ。
これを「九条保守」と名付けることにする。
「九条保守」の活動は「戦争させない!」「平和憲法を守れ!」という標語に集約されるので「あれはアジア開放のための戦争だったんだよ!」「憲法は変えるべきだろ!」と反発する動きが起こったのだ。伊藤貫氏が「反動保守」と称する所以である。
浮上する脅威と沈潜する脅威
「反動保守」と「九条保守」を隔てるものは何か。これもまた、七教訓にヒントがある。再度、七教訓を列挙しよう。
1.多数派の気分で決めた方針はロクな結果にならない
2.方針転換は過去の出来事を参考にゆっくり慎重に行うべし
3.新技術を急速かつ大規模に導入すると社会が混乱し腐敗する
4.規制のない自由は非情な弱肉強食社会を生む
5.独自の慣習や宗教が確立されている異質な社会には干渉するべからず
6.人類は上記の教訓を後世に引き継ぐのが不得手である
7.故に人類は同じ過ちを繰り返す
答えはこうだ。
教訓を糧にしない国が日本以外に存在するという認識
この認識の違いが「反動保守」と「九条保守」を別つのだ。「反動保守」は七教訓を携えていなくとも下記の事実を直視できている。
日本が戦争放棄を宣言したところで、他国はこれ幸いにと攻めてくることがわかっているのだ。何故わかるのか。シナや北朝鮮の動きは「浮上する脅威」だからだ。つまり見えやすい脅威である。
ただ、七教訓を携えていない反動保守には大きな見落としがある。
それはこの教訓を踏みにじる代表格が「米国」であるという認識だ。この認識がない限り反動保守は過ちを犯すことになる。
教訓を踏みにじる代表格である米国へ隷属している状態こそ「沈潜する脅威」だということに気付けないからだ。
日本が中露南北朝鮮から牽制されているのは「沈潜する脅威」が原因だ。だが、反動保守の目に映る「教訓を糧にしない国」「教訓を踏みにじる国」とは主にシナと北朝鮮である。
反動保守は「浮上する脅威」に気を取られているのだ。
「九条保守」は戦士でもある
無意識に教訓を携えた九条保守は、戦い続けてきた。
こう叫び続けた人達は「憲法を保守する戦士」である。戦争をさせないために戦わなければならないのは皮肉としか言いようがない。
ただ、先程述べたとおり、教訓を糧にしない国が日本以外に存在するという認識を持たなければ、戦士達はあえなく玉砕するだろう。
「沈潜する脅威=米国への隷属」がある限り「戦争させない!」「平和憲法を守れ!」という「九条保守活動」の行き着く先は「シナの属国化」しかない。
「尖閣と日本人を奪われる」という浮上した脅威は、米国への隷属状態という沈潜する脅威によって引き起こされているのだから。
殆どの自民党政権が護憲である
九条保守は自民党政権をよく批判する。しかし、その自民党政権こそが「護憲」の維持者なのだ。
ニクソンが副大統領時代(大統領はアイゼンハワー)に「日本に占領軍憲法を押し付けて軍事力を剥奪した行為は間違っていた」と延べている。
後に大統領になったニクソンは二年半、日本は核を持てという議論をしてきたが、日本の外務省防衛官僚、自衛隊の幹部、自民党の政治家は徹底的に無視した。要するに理解する能力を持たなかった。
アイゼンハワーとニクソンは勢力均衡(バランス・オブ・パワー)をよく理解している米国大統領の中では「稀な」人物だと思われる。
勢力均衡は「戦争回避」の最善策であり「5.独自の慣習や宗教が確立されている異質な社会には干渉するべからず」という教訓から編み出された外交の知恵と言える。
例外主義・覇権主義・個人主義・進歩主義・設計主義・合理主義・空想的平和主義
これら七つの主義が米国の本性であり、七教訓と対極に位置するものである。歴代大統領は概ねこれらの主義を基に国家を運営してきた。
ウィルソン大統領が理想主義を押し通さなければ、第二次世界大戦は起きていない。よって、九条保守は存在しない。
九条保守が戦争放棄できる唯一の手段
「九条保守活動」の目的が「シナの属国化」ならば矛盾はない。しかし建前上「日本のため」を主張するなら「シナの属国化回避」と「米国からの真の独立」の二つの課題をクリアする必要がある。
二つの課題とは、先述した「浮上する脅威」と「沈潜する脅威」の排除に該当する。この二つの課題をクリアする方法。それは前項の動画を観た方なら自ずとわかるだろう。
この一択である。
そうすれば九条保守は飽くなき戦いをやめられる。「戦争させない!」「平和憲法を守れ!」と叫ばなくても良くなるのだ。戦争放棄ができるのだ。
いかなる国の占領軍も一方的に敗戦国の憲法や法律を変える権利を持たない。
従って、現在の日本国憲法を改正することは不可能。
そもそも核武装の目的は「自衛」であり「戦争回避」の最善策である。ならば憲法改正すら必要ないのだ。
日本には核武装する技術も資金もある。わずかGDPの0.1%(五千億円)しかかからない。二十隻の潜水艦に巡航ミサイル型を十発ずつ載せておく。これで十分「戦争回避」ができる。
九条保守が戦う必要はこれでなくなるのだ。同時に反動保守も戦う意味を失うのだ。
日本人が七教訓を携えてこそ平和が訪れる
核武装に納得できない人が多いかも知れない。
しかし、七教訓を無視し踏みにじる存在がある限り、これ以外の選択肢はない。この教訓を今の日本人が腑に落としたなら、具体的に何を成すべきかが見えてくるはずだ。
それは「戦争させない!」「平和憲法を守れ!」と叫ぶことでもなく「憲法は変えるべきだろ!」と反論することでもなく「日本は素晴らしい!」と全肯定することでもない。
今の日本人がスマートフォンの前に携えるべきはこの七教訓であり、心の中で繰り返すことだ。そして、核武装を推進する議員を後押しするか輩出することだ。そうすればシナと北朝鮮はおろか米国やロシアも日本にチョッカイを出せなくなる。
勿論、拉致被害者は全員奪還できるだろうし、慰安婦だ徴用工だと喚きちらし、ゆすりたかり作戦を行う韓国も封じ込めることができる。極東は安定し平和が訪れるのだ。
あまり「平和」という表現を遣いたくないのだが九条保守が好きそうなので、この記事では従っておこう。
中川昭一氏の死を無駄にするか否かは今後の我々に掛かっている。
喜び勇んでイノベーションを受け入れたときから、核武装なしで平和を望むのは不可能な領域に「人類自ら足を踏み入れた」ことを忘れてはならない。
西部邁 スマホ人間は人類ではない