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言語に関する考察

【語義掘り下げ】「老害」の意味を再考する5.|「隠れ老害」と「若害」

「老害」についてあなたはどう思うだろう。本当に老人、高齢者が「害」を及ぼしているのか。もしそうならその「害」とは具体的に何なのか。腰を据えて考えてみたい。

この言葉に関しては記事を複数に別けて論じることにする。当記事はその五つ目。「隠れ老害」と「若害」というテーマ。

「老害」扱いされがちな要素

若者から「老害」扱いされる要因は様々ある。

趣味/遊び方への批判
服装への批判
髪型/髪色への批判
言葉遣い/言葉選びへの批判

若者はこれらについて諌められると疎ましく感じる。そして「老害」扱いをしてしまう。

エレキギターと服装の乱れ

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当記事では「趣味/遊び方への批判」と「服装への批判」を題材にする。若者の精神を見定める基準として、私の印象に残っている言葉がある。

エレキギターを弾いているのは不良
服装の乱れは心の乱れ

この二つを軸に論じてみたい。

エレキギターを弾いているのは不良
服装の乱れは心の乱れ

かつて、よく見聞きした言葉だ。

ただのレッテルと揶揄する人もいるが、私はこれもプラトンの文字批判に通じると捉えている。

戦後日本の高度成長は「ミュージシャンは反体制」「衣食あふれて礼節を失う」という状況を作った。

高度成長とは「大量生産と電化の加速」。

そこから得た恩恵は大きいと観る人がいる。しかし、損失のほうが大きいと思えてならない。

誰の目にも「ワル」と映った「暴走族」「モーターサイクル/バイク」が手に入りやすい背景があることを浮き彫りにしてくれる。だが「ワル」の入口は「モーターサイクル/バイク」だけではない。

「ミュージシャンは反体制」「衣食あふれて礼節を失う」という状況を認識している人からすれば「エレキギターを弾いている」「服装の乱れ」「前触れ」として鋭敏に知覚されるのだ。

その知覚を押しつぶした者がいる。「大量生産と電化の加速」から得た恩恵は大きいと観る人だ。いわゆる進歩的文化人や企業人。

多数の国民は進歩的文化人や企業人の楽観論に染まった。そして「大量生産と電化」は更に加速するのだ。損失のほうが大きいと観る人を「数の暴力」で黙らせて。

「大量生産と電化」が拡大にするに連れて、エレキギターを嗜む真面目な少年も増えるだろうし、ファッション業界の戦略が功を奏し、フェミニンからセクシーな服まで、その日の気分で選ぶ優等生の少女も存在するだろう。つまり、分母の増加に伴って「前触れが希薄になった」ということだ。

「エレキギターを弾いているのは不良」「服装の乱れは心の乱れ」の本意を忘れ、やれ時代遅れだの老害だの言うのは非常に浅はか。

私の中学生時代は「エレキギターを弾いているのは不良」「服装の乱れは心の乱れ」が合致していた。

人間における「不良」とは「堕落/破綻/破壊」

「不良」について明確にしておこう。

人間における「不良」とは「堕落/破綻/破壊」に向かう者と定義できる。「暴走族は破壊」であり「服装の乱れは堕落」の色が濃い。

確かに「エレキギターは不良の象徴」という認識は当てはまらなくなった。「エレキギターに限定されなくなった」と言ったほうが正確か。

テレビジョン
ラジオ
家庭用電話機
新聞
雑誌

上記の中には既に時代遅れと思われる産物もある。これらは「堕落/破綻/破壊」の入口として大きな危険性を秘めていた。

その流れでいくと「SNS」も当然ながら不良の入口である。

幼児の頃から携帯通信端末でSNSへ投稿をしていた春名風花。ある時、ウェブニュースで目にした彼女は「痛々しい」成人だった。

感情を逆なでする彼女の投稿を「まともな大人」が諭す。ところが不思議なことに、そのまともな大人たちは瞬く間に「老害」として批判される。彼女は「被害者」や「弱者」の立場を取るのが巧みだったからだ。

母親がSNS投稿の大半を担っていたらしいが、20歳を過ぎた春名風花本人も「被害者意識の肥大した不良」にしか見えない。

母親から本気で「子供時代からインターネットに触れるのは好ましい」と教え込まれていたのだろう。実に恐ろしいことだ。

あなたは彼女を成人と思えるだろうか。「加害者との10年戦争」と称し「誹謗中傷に屈しなかった幼きヒーロー」に祭り上げられた不良のことを。

「服装の乱れは心の乱れ」という視点は普遍

「変形(改変)学生服」

時代によって「エレキギター」から「SNS」へと象徴が変わる。しかし、「服装の乱れ」は普遍ではなかろうか。

和洋を問わず、装いにも「楷書体」と呼ぶべきものがある。わかりやすいのは、やはり「制服」の着方。

ボタンを上まで留めない
ネクタイやリボンをきっちり締めない
裾丈を大きく変える
幅を大きく変える

私の時代では下記の「変形(改変)学生服」をよく目にした。

長ラン
短ラン
ボンタン(極太のスラックス)
ロングまたはミニスカート

間違いなく「服装の乱れは心の乱れ」を体現していた。ただ、一応「制服の痕跡」が残っているのは興味深い。「私服や普段着」にならないのは不思議である。

「変形(改変)学生服」とは素直な日本人の姿?!

ここで留意したいのは「学校」という仕組みの是非。

明治以降の学校制度の歪みが「変形(改変)学生服」に現れていると考えれば、「服装の乱れ=心の乱れ=正当な意思」と観ることができる。

柳田國男曰く「教育とは平凡への強制」。平凡へ強制する目的は「大量生産と電化」を担わせるため。ならば「変形(改変)学生服」を着た「不良」とは、江戸まであった、素直な日本人の姿とも言える。

更には、学校、ひいては社会の仕組みの方が「不良」であると論じることも十分に可能なのだ。とはいえ、「服装の乱れは心の乱れ」には違いない。

「クールビズ」も心の乱れ

あなたは意外に感じるかも知れないが「クールビズ」や「リクルートスーツ」と呼ばれる装いも「乱れ」である。

「楷書体としてのスーツの着こなし」から逸脱しているからだ。

【愚の骨頂】流行りのデザインシャツを斬る! 君のシャツは大丈夫か?

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「萌え絵」も乱れの始まり

「碧志摩メグ」は公式キャラクターとして相応しいか

公的な組織や公共施設での「萌え絵」の頻用

これも同様。

女性蔑視と批判された元伊勢志摩の海女キャラクター「碧志摩メグ」。私は「碧志摩メグ」の公式キャラクター存続の署名活動に参加した。「女性の権利」を喚き散らす輩への反発を示したかったからだ。

しかし「胸を大きく描く」「脚をあらわにする」「衣服を身体に張り付かせる」必要はなかったと考えている。「萌え絵」としてのバランス感覚を公的な領域に持ち込むのは誤りなのだ。

高海千歌の「Yライン」は農協に相応しいか

「短いスカートや股間の存在がわかる描き方」も「萌え絵」に慣れ親しんでいる感覚からすれば何てことはない。ところが「農協」で使用されるとあらば話は全く別。

デジタルで絵を描く人や深夜帯アニメの作画班は布面積を少なくし身体に張り付かせるクセがある。そのクセを「農協」で出すのはかなりの問題。



私は「ラブライブ!」シリーズが好きで、高海千歌というキャラクターに好感を抱いている。故に場所がどこあであれ、彼女のハツラツとした姿を見られるのは素直に嬉しい。だが、それでも公的な要素が強い組織には馴染まない。

フェミニストが過敏になるのは厄介。かといって「萌え絵」が天下の大道にドカドカと踏み込んでくる様を目の当たりにすれば、年に百数十本の深夜アニメを観ていた私とて、フェミニストに同情したくもなる。

そんな私を「老害」と呼ぶのは構わないが、やはり公共への「萌え絵」の進出は「堕落/破綻/破壊」の予兆という他ない。

「股間の存在がわかる」というのは現実において「Yライン」と呼ばれるらしい。そして「Yライン」が出ない下着が存在する。女性の不安を煽り儲けたい魂胆が見え隠れするものの、そんな商品があるのは悪くない。

「隠れ老害」が「若害」を増幅する

「隠れ老害」とは何ぞや。特に難しい概念ではない。

若者を手放しで褒め称える高齢者

服装
髪型/髪色
趣味/遊び方
言葉遣い/言葉選び

これらを無批判に褒めるのが「隠れ老害」である。

若者主導で事態が好転するというのは幻想

そもそも若者が業界を牽引したり共同体を主導することは難しい。

食料自給率向上や移民の犯罪対策を若者に任せる。想像しただけでも恐ろしい。問題の設定やその根深さを若者が把握できるとは到底思えない。

「女子高生社長」という肩書きで何かと騒がれた「椎木里佳」。彼女から漂っていたのは社会や大人への驕りである。

結局はただの「会社ゴッコ」「社長ゴッコ」。増長した顕示欲は大人のみならず若者にも害をなした。

椎木里佳は「若害」の典型例と言える。

政治も同じ。仮に「戦争法案反対」「憲法九条壊すな」と叫ぶ若者に政治を委ねるとしよう。瞬く間に日本という国は消滅し、別の何かに成り果てるだろう。

若者主導で問題が解決したり事態が好転することは皆無。幻想に等しいのだ。

「隠れ老害」は臆病者

では何故「隠れ老害」は若者を無批判に褒めるのか。単に「臆病」だからだ。老害に関する三番目の記事内で私はこう述べた。

社会環境と「老害」の関係

時代の気分を信用しない高齢者と

時代の気分こそ重要だと思い込む若者との摩擦

【語義掘り下げ】「老害」の意味を再考する3.|若者の未熟さと「老害」「環境変化の速度」が驚くほど低く「時代の気分を信用しない高齢者」と「時代の気分こそ重要だと思い込む若者」との摩擦が少なくとも、意見の隔たりは消えない。例えば食事の重要性。現代、この分野における見解の違いは大きい。「お菓子ばかり食べるな」「野菜もしっかり摂ろう」と若年層に言っても聞く耳を持たないのは容易に想像できるだろう。...
 

「時代の気分とは空気の支配」。空気の支配力がどれだけ強固か説明するまでもない。

空気の支配を醸成するのは環境や状況。例えばIT技術の発達による携帯端末の普及。それにより携帯端末による依存度が格段に上がる。

時代の気分を最も体現しているのは若者。そんな若者を諭すのは時代の気分に対する異議申立て。LINEなんてロクなことがないと言おうものなら嘲笑を交えた猛反発を食らうのは必至。

言葉の面でも同じ。


「ら抜き」は恥ずかしい
「普通においしい」は日本語になっていない
「~すぎる」は大げさ
「ガチ」は下品
「草」は幼稚

このような指摘は「時代遅れ」で一蹴される。空気の支配に楯突いた者はおしなべて「老害」扱いを受けるのだ。そんな不条理に耐えるのが「大人」であるはず。しかし、悲しいことに「大人」は激減「臆病者」が増えていく。

「隠れ老害」と「若害」の悪しき連関

「若害」を増大させるのは「隠れ老害」。増大した「若害」が「老害という被害者」を作り出す。「老害という被害者」は国の永続性から観れば賢者であるにも関わらず。

逆に若者を無批判に褒め、同じような言動をしてみせると「懐が深い大人」「賢者」として好意を抱いてもらえる。この逆転現象は実にやっかいだ。

「隠れ老害」と「若害」との悪しき連関は、民主主義と資本制の急速な導入以降に強化されたと私は観ている。

ごく単純化して説明しよう。

金儲けしたいだけの企業人と株主が「若害」を放置または増やしている

要するに「若害」は金ヅルというわけだ。当の若者はそれを知る由もない。「空気の支配」を演出しているのは金儲けしたいだけの企業人と株主ということに。

企業が「若者言葉」を積極的に利用することは、国の永続性からすれば「害」の方が遥かに大きい。だが、企業が「若害」を利用し続ける「隠れ老害」である限り本来の賢者は嘲笑されるだろう。故に「老害という被害者」が減ることはない。

若ければ良いとは限らない/若作りする年配者/「村の爺さんよりも若者が賢い」というのが近代化の始まりであり常識の否定

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語求(ごきゅう)
【反日憂国者】 開国後の日本にとって言語は重要な防壁になりました。それに気付かない日本人に向け、国防の観点から「鋭敏な言語感覚」の重要性を訴えています。言葉の変化を手放しで受け入れる人達へ。あなた達「言葉の変化全肯定論者」が如何に軽薄で危険であるかを独自の視点で暴き出します。その活動が、日本を少しでも延命させる一助になると信じて。「言葉は生き物」「言葉に寛容になれ」と心無い批判をされた人へ。あなたの言語感覚は間違っていない。そんな奴らに屈するな。国防に必要なのは核武装と言語の保守。アイコンはユルいが50代の筋トレおじさん。
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