この言葉に関しては記事を複数に別けて論じることにする。当記事はその五つ目。「隠れ老害」と「若害」というテーマ。
「老害」扱いされがちな要素
若者から「老害」扱いされる要因は様々ある。
趣味/遊び方への批判
服装への批判
髪型/髪色への批判
言葉遣い/言葉選びへの批判
若者はこれらについて諌められると疎ましく感じる。そして「老害」扱いをしてしまう。
エレキギターと服装の乱れ
「隠れ老害」が「若害」を増幅する
「隠れ老害」とは何ぞや。特に難しい概念ではない。
服装
髪型/髪色
趣味/遊び方
言葉遣い/言葉選び
これらを無批判に褒めるのが「隠れ老害」である。
若者主導で事態が好転するというのは幻想
そもそも若者が業界を牽引したり共同体を主導することは難しい。
食料自給率向上や移民の犯罪対策を若者に任せる。想像しただけでも恐ろしい。問題の設定やその根深さを若者が把握できるとは到底思えない。
「女子高生社長」という肩書きで何かと騒がれた「椎木里佳」。彼女から漂っていたのは社会や大人への驕りである。
結局はただの「会社ゴッコ」「社長ゴッコ」。増長した顕示欲は大人のみならず若者にも害をなした。
椎木里佳は「若害」の典型例と言える。
政治も同じ。仮に「戦争法案反対」「憲法九条壊すな」と叫ぶ若者に政治を委ねるとしよう。瞬く間に日本という国は消滅し、別の何かに成り果てるだろう。
若者主導で問題が解決したり事態が好転することは皆無。幻想に等しいのだ。
「隠れ老害」は臆病者
では何故「隠れ老害」は若者を無批判に褒めるのか。単に「臆病」だからだ。老害に関する三番目の記事内で私はこう述べた。
社会環境と「老害」の関係時代の気分を信用しない高齢者と
時代の気分こそ重要だと思い込む若者との摩擦
【語義掘り下げ】「老害」の意味を再考する3.|若者の未熟さと「老害」「環境変化の速度」が驚くほど低く「時代の気分を信用しない高齢者」と「時代の気分こそ重要だと思い込む若者」との摩擦が少なくとも、意見の隔たりは消えない。例えば食事の重要性。現代、この分野における見解の違いは大きい。「お菓子ばかり食べるな」「野菜もしっかり摂ろう」と若年層に言っても聞く耳を持たないのは容易に想像できるだろう。...
「時代の気分とは空気の支配」。空気の支配力がどれだけ強固か説明するまでもない。
空気の支配を醸成するのは環境や状況。例えばIT技術の発達による携帯端末の普及。それにより携帯端末による依存度が格段に上がる。
時代の気分を最も体現しているのは若者。そんな若者を諭すのは時代の気分に対する異議申立て。LINEなんてロクなことがないと言おうものなら嘲笑を交えた猛反発を食らうのは必至。
言葉の面でも同じ。
「ら抜き」は恥ずかしい
「普通においしい」は日本語になっていない
「~すぎる」は大げさ
「ガチ」は下品
「草」は幼稚
このような指摘は「時代遅れ」で一蹴される。空気の支配に楯突いた者はおしなべて「老害」扱いを受けるのだ。そんな不条理に耐えるのが「大人」であるはず。しかし、悲しいことに「大人」は激減し「臆病者」が増えていく。
「隠れ老害」と「若害」の悪しき連関
「若害」を増大させるのは「隠れ老害」。増大した「若害」が「老害という被害者」を作り出す。「老害という被害者」は国の永続性から観れば賢者であるにも関わらず。
逆に若者を無批判に褒め、同じような言動をしてみせると「懐が深い大人」「賢者」として好意を抱いてもらえる。この逆転現象は実にやっかいだ。
「隠れ老害」と「若害」との悪しき連関は、民主主義と資本制の急速な導入以降に強化されたと私は観ている。
ごく単純化して説明しよう。
要するに「若害」は金ヅルというわけだ。当の若者はそれを知る由もない。「空気の支配」を演出しているのは金儲けしたいだけの企業人と株主ということに。
企業が「若者言葉」を積極的に利用することは、国の永続性からすれば「害」の方が遥かに大きい。だが、企業が「若害」を利用し続ける「隠れ老害」である限り本来の賢者は嘲笑されるだろう。故に「老害という被害者」が減ることはない。
若ければ良いとは限らない/若作りする年配者/「村の爺さんよりも若者が賢い」というのが近代化の始まりであり常識の否定










