「老害」呼ばわりされる構図
なぜ「老害」と呼ばれるようになるのか整理してみたい。社会環境が関係していると私は見ている。
時代の気分を信用しない高齢者と
時代の気分こそ重要だと思い込む若者との摩擦
ここで問いたいのは下記の三点。
「時代の気分」はどこまで価値があるのか
「流行」に作為はないのか
「世間知」は適切に形成されているか
私の捉え方はこうだ。
時代の気分/流行/世間知は方向付けられている
とりわけ産業革命以降は色濃い
新たな商品や技術は社会貢献目的とは限らない
若者の情緒を意図的に流布し利益を拡大する
時代の気分は作為的要素が強い
「老害」と環境変化の関連
私はこう確信した。老害呼ばわりの増減は環境の変化速度に関連すると。
世代間の対立増加
「老害」の増加
世代間の対立減少
「老害」の減少
高齢者の経験則を若者が享受できる
若者の未熟さが「老害判定」を増やす
前項は環境による「老害」要因を示した。次に本源的な要因を示そう。
それだけのこと。本源的といっても至極単純な話だ。
仮に前項で記した「環境変化の速度」が驚くほど低く「時代の気分を信用しない高齢者」と「時代の気分こそ重要だと思い込む若者」との摩擦が少なくとも、意見の隔たりは消えない。
例えば食事の重要性。現代、この分野における見解の違いは大きい。「お菓子ばかり食べるな」「野菜もしっかり摂ろう」と若年層に言っても聞く耳を持たないのは容易に想像できるだろう。
「老害判定」は楽ちん
若者は、どうしても親世代以上の人の声を疎ましく感じる。本質を享受できないので反発しやすい。
「老害」呼ばわりは若者にとって非常に楽ちんな手段なのだ。
「老害」よりも恐ろしい「若害」
私が「若害」という造語を思いついたのは、高齢者よりも未熟な若者のほうが社会に悪影響を及ぼしていると考えているからだ。
では「若害」について掘り下げていこう。
「若害」の例
一般的な「若害」を例示する。
イートインスペース
公共車両の出入り口
公共道路
学校/教育者
法律
政府
言葉遣い
服装
マナー/エチケット
自覚の有無の混在
これらの若害は「自覚の有無が混在」している。実はこれが厄介なのだ。
言葉遣いに関しては無自覚だろう。例えば「ら抜き」。親やミュージシャンが多用していれば子供は無自覚に「ら抜き」を用いる。
一方、出入り口の占拠は「わざと」やっている場合もある。電車のドア前に座り込むのは「自覚的」だと思われる。
制度や規律に反発するのは仕方ないが
少し若者の擁護をしておこう。制度や規律に反発するのは仕方ない面がある。
例えば、全国民が必須教科を収める意義。学歴を重視する傾向。私はこれらに疑問を持っている。就職の有利条件に成り下がっている学歴志向は歪んでいると思う。
若者も制度や規律の不具合を肌で感じている。だが、若者は反体制に立脚できても問題の原発巣を探し当てることができない。
これらはまさしく、問題の原発巣を探し当てることができない未熟者の発露。それだけに恐ろしい。
反抗心を煽り言語を壊す「ミュージシャン」
「ミュージシャン」が無責任に反抗心を煽ることも厄介だ。若者に「おかしな言葉遣い」と「安っぽい思想」がスルリと入り込む。
「おかしな言葉遣い」と「安っぽい思想」の主経路はミュージシャンというのが私の仮説。
そんなミュージシャンを売り込むのは中高年。もちろん、ミュージシャンが中高年の場合も多い。私が「若者の言葉遣いを擁護する大人」に嫌悪を抱くのは、音楽界隈の無責任さも関係している。
安易な老害呼ばわりは「若害」である
若ければ良いとは限らない/若作りする年配者/「村の爺さんよりも若者が賢い」というのが近代化の始まりであり常識の否定
三橋貴明氏は「若害」擁護?!
三橋貴明氏は討論の中で笑いながらこんな発言をしていた。
この発言が世代間の分断を危惧する三橋氏なり注意喚起なのは理解している。しかし、「若者優位論」に立ち、安易な「老害判定」をするフシも見受けられる。
別記事でも触れたが、三橋氏はどうも「軽薄」な部分がチラつく。三橋氏はかつて2ちゃんねる(現5ちゃんねる)という修羅場で論戦を重ねた猛者らしい。知名度の高さはそんな背景があるからだろう。
2ちゃんねるは今でこそ言論空間の一部として機能している。しかし、元々は嘲笑と軽薄さの掃き溜めだったことを忘れてはならない。三橋氏は2ちゃんねるで着いた軽薄というアカを洗い流せていない。
「イマドキの若いもんは」というのはシュメール時代からある/希少な例を持ち出して全若者を評価するのは汚い/あなたはもう時代遅れなんですよ
「イマドキの若者は」という態度がある社会こそ健全
前記事で私はこう述べた。
「若気の至り」という表現には「歳を重ねた今の自分のほうが優れている」という意識が隠れている。
「タイムマシンがあれば過去に戻ってやり直したい」
これも今の自分に優位性があるという認識の裏返しだ。ならば、若い頃の自分のほうが余程「害」だったという答えも導き出せる。
【語義掘り下げ】「老害」の意味を再考する2.|若気の至りから観る「老害」攻略ウィキに載っている情報というのは「経験者による成功と失敗で得られた最善手または安全策」である。ゲーム初心者は攻略情報を載せている経験者に対して「余計なお世話」とは言わないはず。いわゆるRPGを想像してもらえればわかりやすいが、ランク/レベルが自分より高いプレイヤーは相応のプレイ時間を費やしている。プレイ時間は年齢と同義と見なして良いだろう。...
過去の自己
別世代の他者
何れにせよ「認識のズレ/隔絶/対立」は必ずある。感覚や認識が同一化しているほうが異常なのだ。
そこであなたに問いたい。
私は是と答える。
「イマドキの若者は」という態度が消え失せた社会は寧ろ不健全というのが私の見解。
「イマドキの若者は」という声がなくなれば、若気の至りが暴走。世間知が歪み社会はおかしくなる。未熟さが社会を大きく動かす時、それは悲劇への序章。まさに「若害」と言えよう。
社会を不安定にするのは「老害」よりも「若害」なのだ。






