この言葉に関しては記事を複数に別けて論じることにする。当記事はその二つ目。
攻略ウィキから考える老害
ゲーム攻略では構造的に老害は存在しない
「老害」を把握するツールとしてゲーム攻略を例にとる。関連性がないと思うなかれ。例にとった意図をあなたはすぐに理解するはずだ。
項目名にもある通り、ゲーム攻略の分野では構造的に老害は存在しない。
ゲーム攻略を指南する媒体は私が十代の頃、昭和からあったと思われる。いわゆる攻略本というものだ。それが令和の現代ではインターネット上に無料で公開されている。ブログやウィキという形態で。
攻略ウィキに載っている情報というのは「経験者による成功と失敗で得られた最善手または安全策」である。ゲーム初心者は攻略情報を載せている経験者に対して「余計なお世話」とは言わないはず。
いわゆるRPGを想像してもらえればわかりやすいが、ランク/レベルが自分より高いプレイヤーは相応のプレイ時間を費やしている。プレイ時間は年齢と同義と見なして良いだろう。
単純に経験者=高齢者の意見はありがたいというのがゲームにおける共通認識だ。
確かにその通りだが、プレイ3日目と半年では明らかに「経験値/経験則」が違う。装備も攻撃力も防御力も各エリアへの移動時間や消費体力も違う。
経験者=高齢者のほうが視野が広く総合的に捉えることができる。故に慎重になりやすい。ゲーム攻略において「ここは慎重に行こう」と諭す人を老害扱いすることは明らかに「未熟者」と言えよう。
私の数少ないオンラインゲーム体験からも「構造的に老害は存在しない」という認識は概ね正しい。「SAO(ソードアート・オンライン)」の世界では「攻略組」の情報はまさしく生死を左右するものだった。
ゲームは現実世界の縮図
現実の事象の疑似体験
こういう見方も大いに成り立つ。
「プレイヤー自身が歳をとる」という要素も加味すべきかも知れない。だが、加味したところで「構造的に老害は存在しない」という認識は揺らがないだろう。
現実世界の自分から考える老害
幼稚園対小学生対高校生…対還暦
次はゲーム内の世界から現実に話を移そう。
先程、ゲーム内でのプレイ時間と経験値に触れた。これを現実世界に当てはめてみる。
「プレイ3日目と半年では明らかに経験値が違う」これは他人と自分を比較したもの。では自分を比較対象にするとどうなるか考えて欲しい。
幼稚園の自分を
小学生の自分が振り返る
記憶が曖昧な人もいるかも知れないが、小学生になれば幼稚園時代の自分を未熟だと感じるだろう。
小学生の自分を
高校生の自分が振り返る
高校生になった自分が小学生だった頃を振り返る時、あまりの拙さに驚くはずだ。
高校生の自分を
還暦の自分が振り返る
更に歳を重ね、還暦から高校時代を思い起こす。「若気の至り」を懐かしみつつ、猛省するに違いない。
自分を対象にした場合「老害」とは何だろうと疑問が浮かぶのは当然である。確実に還暦になった「今」が最も経験値が高いのだから。
タイムマシンがあれば
「若気の至り」という表現には「歳を重ねた今の自分のほうが優れている」という意識が隠れている。
これも今の自分に優位性があるという認識の裏返しだ。ならば、若い頃の自分のほうが余程「害」だったという答えも導き出せる。
その答えを造語化すると「若害」。「若害」については次の記事で掘り下げる。
相澤隼人
怪我する前の自分に言いたい





