「かわいいは正義」という表現は抽象的で不適合
「かわいいは正義」という表現が浸透して久しい。
この言葉を作った人のヒラメキには学ぶべきところがあり面白いレトリックだなと感心してしまう。コピーライティングとしての魅力が「かわいいは正義」という表現にはあるのだ。
だが、この表現と用いられる状況との間で乖離を感じるようになった。用いられている状況を見るに「正義」というのはいささか抽象的で不適合な印象を受ける。
「正しい義」という抽象度の高い概念よりも、もっとダイレクトで具体的な概念が合っているのではないだろうか。
かわいさにあるのは正義よりも引力
かわいい対象に引き寄せられたり、かわいい側が優勢になったりしているので、どちらかと言えば「力」や「パワー」と形容するほうが適切な気がする。
もっと厳密に言えば「引力」が最も実態に適した表現ではないだろうか。
かわいい子犬を目にすると愛おしさを「引き出される」のが良い例だ。
「パワー(備えている力・蓄えられている力)」とも「フォース(押し出す力・攻撃的な力)」ともやはり違う。
確かに「かわいいは引力」よりも「かわいいは正義」の方が言葉としての面白みはあるが、見聞きする度にやはり「正義」と形容するのはおかしいなと感じてしまう。
因みに的確な表現だなと私が思うのは「差別の当たり屋」と「パチンカス」と「ザイム真理教」だ。どちらの言葉も実態を鮮やかに描写している。